2008年12月09日

ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛

「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛(THE CHRONICLES OF NARNIA: PRINCE CASPIAN)」

監督:アンドリュー・アダムソン
アメリカ/2008/年150分
原作:C・S・ルイス


ストーリー(概要)
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テルマール王国で摂政ミラースによるカスピアン王子の暗殺未遂が発生。

コウネリウス博士の手引きでかろうじて暗殺を逃れたカスピアン王子は、博士から角笛を受け取って城から脱出するもミラースの部下の追っ手が迫り、とっさに角笛を吹いた。

角笛の音に呼ばれてペベンシー4兄妹が戻ってきたそこは、かつての平和で美しいナルニア国ではなかった。

ペベンシー4兄妹が王と王女になった黄金時代からすでに約1300年の時が経過しており、テルマール人によってナルニアの民は迫害され、生き残った者たちは森の奥深くに隠れ住んでいた。

ペベンシー4兄妹はやがてカスピアン王子と合流。共にミラースの軍と戦う。


主な登場人物の紹介
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△ピーター・ペベンシー(一の王)
ペベンシー4兄妹の長男

△エドマンド・ペベンシー(正義王)
ペベンシー4兄妹の次男

▽スーザン・ペベンシー
ペベンシー4兄妹の長女。弓の名手。

▽ルーシー・ペベンシー
ペベンシー4兄妹の次女

-------------------
〔テルマール人(人間)〕

△カスピアン
テルマール王国の王子

△ミラース
カスピアン王子のおじ。亡き王の弟。王位を欲し、カスピアン王子の暗殺を企てる。

△コウネリウス博士
カスピアン王子の家庭教師。禁じられているナルニアの歴史を王子に伝え、角笛を渡す。

△グロゼール卿
ミラースの側近

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〔ナルニア〕

△アスラン(ライオンの姿)
ナルニアの創造主。ナルニアの民の前から姿を消して数百年経つ。

△松露とり
アナグマ。

△トランプキン(赤ドワーフ)
ペベンシー4兄弟に助けられ、行動を共にする。

△ニカブリク(黒ドワーフ)
トランプキンの親友。ナルニアのために闇の力にすがろうとする。

△アステリウス
ナルニアの戦士。セントール(半身半馬)。ナルニア軍を指揮。

△グレンストーム
ナルニアの戦士。ミノタウロス

△リーピ・チープ
ナルニアの戦士。ネズミの騎士。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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「信仰」の物語。ナルニア国物語のキリスト教文化を聖書のエピソードを例に大解説。アスランは姿を消したのではない。ダビデにみる物語の定石「王は帰還する」。「少年ダビデと巨人ゴリアテ」でわかるテルマール軍とナルニア軍の戦力差。カスピアンだけではない? イケメン王子は聖書の中にも登場する。

■ はじめに

ここでは主に、ナルニア国物語の物語を聖書のエピソードとの対比によってその魅力を浮き彫りにしようと試みます。

映画「カスピアン王子の角笛」を未見の方は、ナルニアの話なのか聖書の話なのかの区別がつきにくくなるかもしれません。

そこで以下の「単語、名称、名前」を含む文については聖書のエピソードだと見当を付けていただければと思います。

「イスラエル」「サウル」「ダビデ」「ヤコブ」「ヨセフ」
「モーセ」「ゴリアテ」「ギデオン」「ヨシュア」「バラム」
「アブサロム」「預言者サムエル」「エリコの城壁」「エデンの園」

また「カスピアン王子の角笛」のレビューの前に私が執筆したこちらを一読することをお勧めします。

▼「ナルニア国物語」に秘められたキリスト教文化を大解説
  〜これを知れば7倍楽しめる〜
 「ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女」



■ 第1章からおよそ1300年後のお話
  〜ほんとうはスーザンの角笛!?〜


「カスピアン王子の角笛」の舞台となる時代は、ナルニアの歴史のどのあたりでしょうか。

映画化第1作「第1章ライオンと魔女」においてペベンシー4兄妹が衣装タンスからナルニア国にやってきて白い魔女を倒したのはナルニア暦1000年。

これによりペベンシー4兄妹はナルニアの王と王女になり、黄金時代が訪れます。

それからの後のナルニア暦1998年。テルマール人(人間)がナルニアに侵攻・征服。テルマール人によってナルニアの民は迫害され、生き残った者たちは森の奥深くに隠れ住みます。

自然や魔法の力をおそれたテルマール人は、ナルニアの歴史を語ることを禁止します。

時は流れ、ナルニアの存在はお伽話として囁かれる程度のものになっていました。

そしてテルマール人によるナルニア征服から約300年後のナルニア暦2303年。

テルマール王国でミラース摂政によるカスピアン王子の暗殺未遂が発生。カスピアン王子はコウネリウス博士の手引きでかろうじて暗殺を逃れ、博士から角笛を受け取って城から脱出します。

ほんとうにピンチのときに使ってください、と渡されたこの角笛こそ、1300年前にペベンシー4兄妹の長女スーザンがサンタクロースから贈られた「魔法の角笛」であったのです。


■ アスランの姿を見たルーシー

ナルニア国にやってきたペベンシー4兄妹たちが深い谷を挟んだ向こう側へ渡ろうと道を探しているときのことです。

ペベンシー4兄妹の末っ子ルーシーだけが、ナルニア国で数百年姿を見せないといわれるアスランの姿を、深い谷を挟んだ向こう側に見たといいます。

アスランの姿を見たその場所から谷を下って向こう側へ行こうと提案するルーシーですが、他の兄妹たちも含めて誰もその姿が見えなかったため、深い谷を避けて川の浅瀬のある場所へと迂回することになります。

思い出してください。「第1章ライオンと魔女」で衣装タンスからナルニア国にはじめてやってきたのはルーシーです。

新約聖書マルコによる福音書10章13節には「神の国は、このような者(幼な子)の国である」とあり、15節には「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」とあります。

そのためでしょう、ナルニア国物語においてもアスラン(イエス・キリスト・神)のことを最も慕っており、より深い絆で結ばれているとされているのはルーシーとなっています。

だからルーシーだけが深い谷を挟んだ向こう側にアスランの姿を見ることができたのです。


■ アスランは姿を消したのではない
  〜信仰〜見ないで信じる者はさいわいである


ナルニアからアスランが姿を消して数百年。ナルニアの民でさえアスランの存在を実感できなくなっていた時代。

ナルニアの民はアスランが姿を消したと思っていました。けれども、アスランは姿を消したわけではないのです。

いったいどういうことなのでしょう。

それを説明するにはまず「信仰」について話さなければなりません。

新約聖書の4福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)のうちマタイ、マルコ、ヨハネそれぞれの福音書に「水上を歩く」というエピソードが記されています。

湖に漕ぎ出した舟に乗ったイエスの弟子たちに逆風が吹きつけます。一生懸命に漕いでも舟は進みません。その様子を見たイエスは、夜明けの4時頃に弟子たちのところに向かいます。

月光の中、湖の上を歩いてこちらにやってくる人影を見た弟子たちは、それを幽霊だと思って恐れます。しかしそれがイエスだとわかると、弟子のペテロは「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」と願います。

イエスに「おいでなさい」と言われたペテロは舟から降りて水の上を歩いてイエスのところに行きます。しかし風に恐れをなしておぼれかけます。

ペテロはイエスに手をつかまれて救われ「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われます。

そしてふたりが舟に乗り込むと風はやんでしまいます。

ちなみにペベンシー4兄妹の長男ピーターは、新約聖書に登場するイエスの12弟子のひとり、ペトロ(ペテロ)に由来する英語圏の人名です。ペテロはイエスの12弟子のリーダー格で、本名はシモン。自分も水の上を歩かせてくださいとイエスにお願いしたのはこのペテロです。

水の上を歩くというのは、常識では考えられません。でもこれは、信じる者にはそれができるということを伝える「信仰」についてのエピソードなのです。

もうひとつ「信仰」に関する聖書のエピソードをご紹介しましょう。

これは、末っ子ルーシーがアスランを見たと言ったときに、それを信じることができなかった兄妹たちの様子を彷彿とさせるエピソードです。

十字架にかかり亡くなって後によみがったイエスの姿を見た弟子たちがいる一方で、未だその姿を見ていない弟子がいました。――彼の名はトマスといいます。

他の弟子たちがイエスにお会いしたと言ってもトマスは信じません。

それから8日の後、トマスを含めた弟子たちが鍵のかかった家の中にいると、イエスが姿を現して言われました。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。

トマスはイエスを見てこれに答えて言います。「わが主よ、わが神よ」。

イエスは「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」といわれました。

水の上を歩くことは普通は考えられません。でも目の前でイエスが水の上を歩くのを見たペテロは自分も歩けると信じて一歩を踏み出します。見て信じたペテロも「風」に怯えておぼれかけます。

それほど人間とは弱いもの。

まして亡くなった者が生きかえったと聞いても、それを見るまでは信じられないのは致し方ないと思われるでしょう。

でも、トマスはイエスの弟子です。イエスと共に時間を過ごし、イエスの数々の奇跡を見てきた弟子です。ナルニア国物語でいえば、かつてアスランとともに白い魔女を打ち破ってナルニア黄金時代を切り開いたペベンシー4兄妹でしょう。

そんな弟子(ペベンシー兄妹)でさえ、その姿を見るまでは信じることができなかったのです。

ナルニア暦2303年当時には、アスランの姿を見た者はルーシーだけ。その見たという話を他のペベンシー兄妹たちでさえ信じることができません。

人は目に見えないものを信じることを難しいと感じます。イスラエルの民はその歴史上、幾度も形ある物=偶像を作ってこれを拝みます。

イスラエルに王が誕生したのも、民の強い要望によるものです。他の国に王がいるように、自分たちも王がほしいと望んだのです。目に見えない神では不安で、目に見える王を欲したのです。

王の話が出ところで、次に「カスピアン王子の角笛」のストーリーから想起されるイスラエルの王についての話をしましょう。

(「アスランは姿を消したのではない」については後ほど)


■ 羊飼いの少年が巨人兵を倒す

巨人兵です。巨神兵(「風の谷のナウシカ」に登場)ではありません。

イスラエルの初代の王はサウルといいます。サウル王が神の言葉に従わなくなってきた折り、神の言葉を人間に仲介するた預言者サムエルによって次の王が選ばれます。

選ばれたといってもすぐに王になるわけではありません。選ばれた者は預言者サムエルによって頭に油を数滴落とされて神の旨(次の王となる)をそっと告げられるのです。

次の王となる少年の名をダビデといいます。彼はエッセイという人の息子で末っ子です。

ほら、ここでも末っ子が登場しましたね。旧約聖書の時代も現代の日本も、基本として長男が重んじられるのはよくあることです。

でも神のために働く者として選ばれる人たちには、次男や末っ子がけっこういました。ヤコブは双子の弟。ヨセフは12人兄弟の11番目。イスラエルの民をエジプトから導き出したモーセにも兄がいました。

ナルニア国物語でもアスランと最も強い結びつきを持っているのは末っ子のルーシーですね。

話を戻しましょう。

ダビデは羊を飼っていました。いわゆる羊飼いです。ダビデの兄たちはペリシテ人の軍隊と谷を挟んで対峙するイスラエルのサウル王の軍にいました。

父のいいつけて兄たちの様子を見に行ったダビデは、敵のペリシテ軍のひとりの大男の兵士・ゴリアテがイスラエル軍に一対一の戦いを挑むのを目の当たりにします。

しかしイスラエルのサウル軍のなかに、完全武装したこの巨人に立ち向かおうという者はだれひとりいませんでした。

さて、この一対一の戦いで軍隊全体の勝敗を決めようという申し出は「カスピアン王子の角笛」では「逆」に使われています。

つまり、川を渡って進軍してきたテルマールの大軍を前に窮地に陥った少数のナルニア軍が、ルーシーを使いに立ててアスランに援軍を求めにいく間の時間稼ぎに「一対一の決闘」を申し出るところです。

聖書では敵軍(ペリシテ軍の巨人ゴリアテ)が申し出た一対一の決闘を、ナルニア国物語では自軍(ナルニア軍)が時間稼ぎのために申し出たのです。

ダビデは神が付いているのだからと、巨人ゴリアテの挑戦を受ける決心をします。ダビデはいつもの羊飼いの格好で巨人ゴリアテに挑みます。持ち物といえば小石5つと革製の投石具と羊飼い用の杖だけです。

対するゴリアテは鎧に巨大な盾に刀と槍と完全武装しています。

この二人の武装の差はそのまま、少数のナルニア軍とテルマールの大軍を、さらにその強大な軍事力を背景とした年配のミラースと、ロンドンでは学生である若いピーターとの一対一の決闘の構図を表しています。

つまり、ダビデもナルニア軍も圧倒的に不利なのです。とうてい勝ち目はないと思える状況です。

ちなみにテルマール軍に一対一の決闘を申し込みに行ったのは次男のエドマンド(正義王)です。

敵の大将ミラースと決闘するのはエドマンドではなく、その兄のピーターです。それにもかかわらず決闘の申し込みのために敵陣に行ったのはピーターよりも若いエドマンドです。

一対一の決闘の申し出があればミラースは断らないだろうという計算があるにしても、念には念を入れて年長のピーターではなく、もっと若い次男のエドモンドを申し込みに行ったのは、相手の自己顕示欲と虚栄心を突いて決闘の申し出を断らせないためであると同時に、相手を油断させる狙いもあるのです。

巨人ゴリアテもテルマール人のミラースも、その軍事力の優位性から隙が生じます。

ゴリアテはダビデを見くびり、兜のフェイスガードを使いませんでした。そのため、ダビデが投石具を使って頭上でぐるぐる回して放った小石は巨人ゴリアテの額に命中。ゴリアテはばったりと地面に倒れます。

ではナルニア軍のピーターはテルマール軍のミラースを打ち破れるのか。それは観てのお楽しみに。


■ イケメン王子といえば

カスピアン王子はイケメンですね。実は聖書にもイケメン王子が登場します。アブサロムという王子です。

テルマール人の国の王位継承者であるカスピアン王子が、身内のごたごたで城を追われることになったのと同じように、イスラエルのダビデ王の家庭にもごたごたがありました。

旧約聖書の時代、たいていは長男が家督を継ぎますが、王の場合はそのときの王が望むようにすることができました。

そのため、ダビデ王の息子たちの間に次の王にだれがなるのかという「競争心」と「ねたみ」が生まれて渦巻いていたのです

ダビデの息子たちの間でごたごたがあり、ついに兄弟間で殺人が起こります。そのため、殺人の首謀者アブサロム王子はイスラエルから逃れます。

このアブサロム王子は姿かたちが良く、長い金髪を自慢にしていました。王座への野望を強く持ち続けており、逃亡中も立派な馬車を買い、立派な身なりをして民たちに親しく話しかけ、困っている人がいれば助けて人気上昇を図ります。

テルマールのカスピアン王子はおじのミラースに暗殺されかけるのでアブサロムとは事情が違いますが、自国や自分の城から逃れなくてはならない状況になるのは同じです。イケメンであることも共通しています。そしてなにより、どちらも王座を狙っています。

カスピアン王子は正統な王位継承者のように描かれていますが、どの時代のどんな国の王家でも、だれが王にふさわしいとか、だれが正統な王位継承者かというごたごたは、よくあることです。

ダビデさえ、かつてはゴリアテを倒してイスラエルの民の英雄となったことから、サウル王に妬まれ、命の危険に晒されて逃亡したことあります。その後いろいろあってサウル王の死後にダビデはイスラエルに帰還します。

ナルニア国物語の原作者C・S・ルイスの知り合いのJ・R・R・トールキンの「指輪物語」3巻のうちのひとつが『王の帰還』というタイトルからもわかるとおり、物語の定石に「王や王子がやむをえず逃亡したら、やがては帰還する」というのがあります。

ダビデ王が逃亡して後に帰還したように、カスピアン王子も逃亡した後に帰還する。そういった定石どおりの物語構造のなかに「信仰」をテーマに数々の聖書のエピソードを散りばめた作品。それが「カスピアン王子の角笛」なのです。


■ 吹けば「何か」がおきるラッパ

カスピアン王子の角笛をラッパと置き換えてみれば、聖書にはラッパを吹いて圧倒的多数の敵を撃破したエピソードが思い当たります。

イスラエルの指導者ギデオンは、土器のつぼとたいまつと雄羊角でつくったラッパを使い、わずか300人の軍隊でミデアン人の大部隊に勝利しました。

イスラエルの指導者ヨシュアは、エリコという町の堅固な城壁を打ち破るために祭司たちを集め、そのうち7人にラッパを持たて吹かせ、そのうしろに押し黙った兵士たちを行進させて城壁の周りを回るよう指示します。

これを6日繰り返し、7日目には城壁を7回まわり、7回目にラッパが響くや兵士たちが腹の底から力強い叫び声を上げると、エリコの城壁が揺れて崩れ落ちました。

ラッパを吹けば何かが起きる。それは勝利への合図といってもいいでしょう。

そういうわけで、カスピアン王子が吹いた角笛の音はナルニアの勝利を予感させるものでもあるのですね。


■ アスランはずっとそこにいた

では最後に、アスランは姿を消したのではないというのはどういうことか、についてお話しましょう。

川を渡って進軍してきたテルマールの大軍を前に窮地に陥った少数のナルニア軍。援軍を求めに森に入ったルーシーはアスランに出会います。

けっこうあっさりアスランがみつかりましたね。

それもそのはず、ルーシーはアスランの存在をずっと信じていたからです。さらにそれまで存在を信じきれていなかった他のペベンシー兄妹たちやナルニアの戦士・民たちも、窮地に陥ってやっとアスランに頼るしかないことを悟り、その存在を強く信じるようになったからです。

「苦しいときの神頼み」とうのは人間の弱さをあわしている言葉でもあるでしょう。

それでも人間(自分)は弱いものと認識して助けを求めさえすれば、湖で溺れかけたペテロを救う手を差し伸べたイエスのように、神は助けの手を差し伸べてくださる。そんなメッセージが「カスピアン王子の角笛」には込められているのですね。

ナルニアの民がほんとうに助けを求めたとき、アスランは助けてくれます。

アスランはけっして姿を消していたわけではなく、ずっとナルニアの民の身近にいたのです。

ほんとうに追い詰められてもう駄目だと思って心から信じて助けを求めたとき、アスランの姿をみることができたのです。

次のような話をきいたことがあります。

人生という名の砂浜を振り返ったとき、一番辛く助けを必要としていた時期にひとつの足跡しかなかったのを見たある人が、神に尋ねました。「私が最も辛くて大変だったときにどうして共にいてくださらなかったのですか」――と。

すると神は、そのひとつの足跡はあなたを背負って歩いた私のものだ、と答えられました。


■ その他

他にも聖書のエピソードを彷彿とさせる箇所やキリスト教文化の片鱗がいくつもありますが、以上の大まかなところを頭の片隅に入れていただければ、きっと作品の魅力をさらに感じてもらうことができると思います。

半身半馬のナルニア戦士が登場したり、ねずみがしゃべったりと、聖書のエピソードがちりばめられれいるというわりには、そのあたりはさすがに子供騙しみたいな登場キャラクターだと思われるかもしれません。

ところが、実は聖書にも動物が話すエピソードがあります。

有名なところではエデンの園で「へび」が女にしゃべり、善悪を知る木の実を食べさせたエピソードがありますね。

ほかにも旧約聖書の民数記には占い師バラムがのった「ろば」がしゃべるエピソードがあります。静かで我慢強い「ろば」が鞭打つ主人バラムにむかって「わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです」と言ったとあります。

ちなみにカスピアン王子が暗殺から逃れて森を馬で走っていたときに、追っ手を確認しようと振り返り、それが原因で前方の木の枝に当たって落馬しましたね。

聖書に登場する例のイケメン王子アブサロムも森を騾馬に乗って走っているときに、垂れ下がっている樫の木の枝に突っ込み、長い髪が枝にひっかかります。騾馬はアブサロムを宙吊りにしたまま走り去ってしまいます。その後アブサロムはどうなったのかは……知りたい人は聖書を紐解いてみましょう。

さて、ファンタジー作品ときくとすぐに「子供だましだ」という人もいるかもしれませんが、有名なファンタジー作品にはたいてい、しっかりしたテーマや力強いメッセージがあります。

そういった作品は子供だましどころか、人生の教科書といってもいいでしょう。

有名ファンタジー作品にかぎらずどんな作品でも、そこから何を感じ、何を学ぶかは人それぞれです。

見ようと思わなければアスランの姿がみえないのと同じように、感じて学ぼうとしなければ作品のテーマやメッセージを知ることはできません。

もちろん、子供だましだと思って映画「ナルニア国物語」観ようと思わなければ「ナルニア国物語」は観ることができません。

あたりまえのように聞こえるでしょうが、これこそ「カスピアン王子の角笛」のメッセージなのかもしれません。

それと、軍隊の戦闘シーンが多めです。迫力がスゴいです。

聖書ときくと「許しと癒しの物語」をイメージされる人が多いかもしれません。たしかにそのとおりなのですが、それは主に新約聖書のエピソードや、イエスの例え話にその傾向が顕著にみられます。

一方の旧約聖書は戒めとそれを破った者への罰といったエピソードがけっこうあります。

旧約聖書を少しでも紐解けば、イスラエルの歴史は軍隊による戦いの歴史といってもいいことがおわかりいだけると思います。

「カスピアン王子の角笛」は、こういった聖書に記述された戦いの凄まじさといったものも併せてイメージさせるものとなっています。

親子でご覧になる方はそのあたりもお知りおきを。


デート      ○ イケメンはなぜか長髪。でも彼氏は短髪?
フラッと     ○ キリスト教文化関係なしでもOK。話はシンプル。
演出       ○ 
キャラクター   ○ ねずみ戦士が人気?
映像       ○ 
ファミリー    ○ 戦闘シーンが多めを知りおきを
アクション    ○ 一対一の決闘をはじめ戦闘シーンが迫力アリ
歴史       ○ 
社会       ○
文化       ◎ キリスト教文化。聖書のエピソード多数織り込み。

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ベン・バーンズ, ジョージー・ヘンリー, スキャンダー・ケインズ, ウィリアム・モーズリー, アンドリュー・アダムソン
ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント 2008-11-21

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