2008年07月12日

トゥモロー・ワールド(The Children of Men)


映画「トゥモロー・ワールド(The Children of Men)」
監督:アルフォンソ・キュアロン
アメリカ・イギリス/2006年/109分
原作:P・D・ジェイムズ『人類の子供たち』

B000KIX9BOトゥモロー・ワールド プレミアム・エディション
P.D.ジェイムズ
ポニーキャニオン 2007-03-21

by G-Tools


●目線カメラとワンショット(長回し)が冴え、一瞬で作品世界へ観客をひき込ませる映像密度の濃さがたまらない。セオがサンダルを履く意味とは? キーが妊娠を明かすのはなぜ牛舎なのか? ヒントはイエスと「人類の救い」にある。

ストーリー(概要)
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人類には18年間子供が生まれていない西暦2027年。イギリスのエネルギー省で働くセオはある日、地下組織FISHに拉致され、元妻で組織のリーダーのジュリアンから、女性・キーのために政府の通行証を手配するよう求められる。


主な登場人物の紹介
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△セオ
男性。エネルギー省の官僚。

▽ジュアリン
女性。セオの元妻。地下組織FISHのリーダー。

△ジャスパー
男性。セオの友人。

▽キー
女性。妊婦。

▽ジュアリン
女性。セオの元妻。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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●目線カメラとワンショット(長回し)が冴え、一瞬で作品世界へ観客をひき込ませる映像密度の濃さがたまらない。セオがサンダルを履く意味とは? キーが妊娠を明かすのはなぜ牛舎なのか? ヒントはイエスと「人類の救い」にある。

■「金の卵」「よい大学よい会社」の嘘がバレたあと

希望が見出せない時代。
それは西暦2027年でなく、現在でも同じような状況だともいえる。

特に日本社会では、組織や集団が人々に見せつづけてきた「夢と希望」が嘘であることがもうずいぶん前にバレてしまった。

例えば昭和30年代の東北の田舎の中学校教師が、どうやって東京の会社のことを知ることができただろうと考えてみよう。

中学を卒業して東京の会社に労働者として就職して辛い仕事でも一生懸命真面目に働けば、やがては報われてよい暮らしができるというならば、なぜその教師は東北の田舎町で安月給の教師を続けているのか?

その教師は東京にあるいくつもの会社のことをどのくらい知っていたのか。おそらく、なんにも知らなかったのだろう。

当時、都会では安い賃金で使える労働者を大量に必要としていた。

そこで、きみたちには光り輝く将来という「夢と希望」がある、といいきかせて、田舎から多くの中卒や高卒の人間を「金の卵」をもてはやして都会へ連れてきた。まるでハーメルンの笛吹きのように。

田舎の次男坊、三男坊や、女子(おなご)は、都会へ働きに出なければ食い扶持がなかった等、さまざまな事情があっただろう。

そういった経済的な事情はもちろんだが、ここでは「夢と希望」に焦点を絞ることにする。

他人が用意した「夢と希望」に乗るのはある意味で楽である。その「夢と希望」がより大きいと感じるところが提供してくれたものであればあるほど、確実で確かなものだと思えるからだ。

1960年代の東北の田舎の中学生や高校生にとっての、より大きく確実だと思える人とはだれであったか。おそらく学校の先生だろう。学校の先生のいうことに間違いはないと、中学生や高校生だけでなく、現在よりもはるかに多くの親も信じていたのではないか。

1960年代に限らずとも、偏差値の高い大学へ入り、有名な大手企業に入りさえすれば輝ける未来があると親も教師も言いつづけ、信じつづけた時代のことは、今となっては笑い話にもならない昔話が「金の卵」ともてはやされた時代と比べても、本質では大差はない。

組織や集団が提供した「夢と希望」が嘘であるとバレてからもう随分経つが、未だ個人で「夢と希望」を見出せるようにはなっていない。

なぜなら、個人で「夢と希望」を見出す作業をやりつづけてこなかったからだ。

30年間車で送り迎えしてもらっていた人が、明日から自分で運転しろと言われても、すぐには運転できない。30年の間に、車の運転技術と交通法規を学んでおき、運転免許を取得しておいたならば、明日から初心者マークを付けて運転することはできる。それでも運転初心者ならのだから、熟練運転手になるにはそれなりの時間がかかることからも容易に想像することができるだろう。


■ SFの使い方

個人の希望を見出せない男がいる。

彼の名はセオ。エネルギー省に勤める彼は、この18年間人類に赤ん坊が誕生ていない西暦2027年のイギリスで、街の皆が世界最年少の青年(18歳)がファンに殺されたというニュース映像に衝撃を受けて呆然と立ち尽くすなか、コーヒーを買ってさっさと店を後にする。

人類に子供が生まれない「希望のなさ」以前に、セオは自分の「希望」を見出せないでいる。

希望なき主人公の世界に観客を引き入れる仕掛け。それが18年間人類に赤ん坊が誕生していない「希望なき」世界というSFだ。

SFはそれ自体が目的になってはおもしろくない。あくまで、ある事柄を鮮明に映し出す「鏡」の役割を担うのがSFである。

くしくも作品内で、妊婦キーを送り届ける行き先であるヒューマン・プロジェクトと連絡をとることができる、ただひとりの者を「鏡」と呼んでいるのは、世界の姿を映し出すのは「SFという鏡」だということを暗示している。

SFという鏡に何を映したいのか。それは「希望」だ。


■ 焦点

親子の愛を扱った「フライトプラン(FLIGHTPLAN)」では子供を題材としたいた。しかし、その強引な舞台設定と展開にアメリカ合衆国の風刺作かと思わせる作風に「希望」という焦点がブレてしまった。

一方「トゥモロー・ワールド」では、18年間にわたり人類に子供が授からない近未来というSF設定によって、しっかりと「希望」に焦点が合っている。


■ ヒーロー

「トゥモロー・ワールド」は「子供を題材とするので、ならば主人公は母親の女性かというとそうではない。セオという男性が主人公だ。彼には守るべきわが子はもういないが、他人の子供をヒューマン・プロジェクトまで送り届けようと命をかける男。それがセオだ。

セオにもかつて子供がいたというバックグランドはある。しかしわが子を失い、愛する妻とも別れて、活動家としての信念さえも忘れたかのように公務員として希望なく毎日を過ごすセオ。

武術が得意なわけでもなく、武器を自由自在に扱うわけでもない、靴だってビーチサンダルだったりするセオ。地下組織と政府軍との戦闘状態に突入した収容所の市街地で戦火のなかでキーとその赤ん坊を守ろうとするセオ。

自分の希望も見出せない男が、丸腰で靴さえも満足に手に入られないなかで他人の赤ん坊を守ろうとする。なぜなら赤ん坊は「希望」の象徴であり、セオ(人類)が生きるための「希望」だからだ。

セオこそヒーローである。


■ 映像

地下組織と政府軍とが戦闘を繰り広げる市街地での8分強のワンショット映像がある。

単純に入って、カットの数が多ければ多いほど撮影は比較的ラクになる。細切れなカットをいくつも撮っておき、あとで編集すれば幾通りものシーンを作れるからだ。それに、アクションシーンでは特に細かいカットを短い時間内にいくつも使えば、スピード感を出せる。

大雑把にいえば、カットが多いほど、いろんな意味でごまかしがきくのだ。

8分強のワンショット。いわゆる長回し。それもアクションを多用する戦闘シーンだ。俳優、監督、スタッフといったあらゆる人たちがひとつにならなければできないのがワンショットである。

ある作品を観る際、どのくらいの長さのワンショットが使われているかで、監督と俳優とスタッフの心意気と技量を計ることができる。

大概、難しいワンショット(長回し)を使っている作品は評判もいい。たとえばタイのアクション映画「トム・ヤム・クン!」には主人公が4階建てのセットを1階から順に上の階へ向かって登り、せまり来る敵を倒していく4分長回しワンカットがある。

では、市街戦のアクションを8分強のワンショットで、というのはどうだろう。

これがいかにスゴイことかは観てもらわなければわからない。


■ 目線カメラ

登場キャラクターたちと同じ視線に据えた手持ちカメラによる目線の映像が多用されている。

これによって、物語内の出来事を観る「観客」の位置から、一瞬で作品内のキャラクターと同じ目線の位置まで引きずり込まれることになる。

観客は傍観者ではいられないのだ。

車で移動中に暴徒達に襲われるシーンや、例の8分強の市街戦のシーンで、主人公は銃を持って戦わずに、妊婦キーやその赤ん坊を守ろうと行動する。

戦闘現場に遭遇したらほとんどの人は逃げ惑うことしかできないだろう。そういった普通のひとりの目線としてカメラがあり、そこに守るべき人が存在することで、戦火のなかを必死に移動するセオと同じ目線でその場にいるかのような感覚に陥る。

こういったドキュメンタリータッチの映像がこの作品の最も特徴的な点だ。


■ イエス

キーが農場の牛舎で妊娠していることを明かし、セオがそれに衝撃を受けるシーンは、イエス・キリストが馬屋で誕生した際に、お祝いに駆けつけた羊飼いたちと3人の博士たちの様子もこんなふうだったのかと思わせる。

なぜ牛舎なのか。おそらく、馬屋だとおこがましいので牛舎にしたといったところだろうか。

セオが靴ではなくサンダルを選んで履くのは、イエス・キリストの時代の日常の履物であったサンダルによるものだろう。イエス・キリストはサンダルを履いて歩き、人間を救うために地上を歩きつづけた。セオもまたサンダルを履き、人類を救う希望であるキーを守るのだ。

またセオは元活動家というが、武器を使わない。武器に手を触れようともしない。攻撃さえしない(車のドアを開けて襲いくる相手にぶつけるぐらいなもの)。収容所に自ら入るときも、兵士の物取りに腕時計を盗られるときに、キーを見失しなわないように急いでいた理由もあるが、自ら腕時計を外して渡す。

そしてラスト、人類の救いの象徴のキーとその赤子を守り通し、安全な場所まで連れてきたセオ。彼は人類を救うために最後はどうなったか。セオの行いは、イエスの生涯を思わせるようになっているのだ。


■ ひとこと

イギリスの名所・土地・ロケ地に詳しい人が観れば、いろいろと趣向を凝らした演出を堪能できるようだ。

西暦2027年の近未来が舞台だが、そこに映し出される出来事や問題や情勢は、現在と変っていないところがあるばかりか、人類の歴史が繰り返されていることを示している。


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