2009年06月05日

レディ・イン・ザ・ウォーター(LADY IN THE WATER)

B000QUU89Cレディ・イン・ザ・ウォーター [DVD]
M・ナイト・シャマラン
ワーナー・ホーム・ビデオ 2007-07-13

by G-Tools



▼「レディ・イン・ザ・ウォーター(LADY IN THE WATER)」
監督:M・ナイト・シャマラン
2006年/アメリカ/110分


ゴールデンラズベリー賞の最悪助演男優賞と最悪監督賞を受賞し、興行的にもかなりの痛手を負ったという「レディ・イン・ザ・ウォーター」は、世界中の批評家たちから酷評された。


作品を観ると、なるほどこれは観客にカタルシスを与えることは難しいと思わざるをえない。


しかし、だからといって「レディ・イン・ザ・ウォーター」がしょうもない作品かというと、そうではない。


この作品は、ふつうの映画作品とは違う楽しみ方を必要とするのだが、そんなことは観客は想定しておらず「シックスセンス」と同等かそれ以上のドンデン返しを期待してしまう。すると観終わった後にガッカリすることになるのだ。


そんなこんなで、いつの間にかM・ナイト・シャマランは「なんだか意味ありげだけどワケのわからん作品ばかり撮る監督」といわれるようになってしまった。


これは天才監督と言われるかどうかの紙一重の状態である。


日本にもなんだか意味ありげだけどワケのわからん作品ばかり撮る監督がいる。天才監督といわれている彼は、世界中で広くその名が知られている。


それは宮崎駿監督だ。


彼の最新作「崖の上のポニョ」の宗介は家の下の入り江みたいなところでポニョと出会う。ポニョを家にかくまう宗介……というような話だ。


ここで「おや?」と思った人もいるだろう。何かに似ている話だなと思い当たる人もいるのではないだろうか。


「レディ・イン・ザ・ウォーター」の登場人物でアパートの管理人のクリーブランドだ。彼は夜中にマンションのプールで泳いでいた若い女性と出会う。


ストーリーという名のその女性を自宅にかくまうクリーブランド。自分の名前を伝えた彼は、ストーリーに「崖の名前ね」といった意味のことを言われる。


アメリカ合衆国オハイオ州北東部に位置する都市クリーブランドの市街地は、段丘の上に広がっていることからこのように言ったと推測されるが、ではなぜわざわざ「崖」についてのセリフがあるのだろうか。


そもそも「崖」とは?


これは、陸で生活する者、つまり人間を表す一般的な象徴であると同時に「崖の要素」を持つ人間を象徴していることにお気づきだろうか。


崖の上に家を建てる者といえば、聖書では「岩の上に家を建てた賢い者」というたとえ話がある。これは、岩のように大きくてしっかりした揺ぎないものの上に家を建てればよいという教えであり、つまり岩=イエス(神)と共にあって生きなさい、ということだ。

▼ポニョはなぜ「崖の上」なのか


「レディ・イン・ザ・ウォーター」のクリーブランドの名の由来は崖の土地であり、彼が住み、働くアパートのプール(水)でストーリーと出会う。


一方「崖の上のポニョ」の宗介は崖の上の一軒家に住み、家の下の入り江(水)のようなところでポニョと出会う。


両作品のその後の展開は、一般的・基本的な物語構築方法とはかけなれたものであり、これを両監督とも意図的に行っている。


宮崎駿監督にしても、古今東西の伝記・伝承・伝説、神話・物語を研究して知り尽くしているからこそ、あえて物語構築の定番を壊した実験的な作品を作りつづけている。


M・ナイト・シャマラン監督にしても、古今東西の伝記・伝承・伝説、神話・物語を研究して知り尽くし、インドの映画手法からハリウッドの脚本術も知り尽くしているからこそ「シックスセンス」で大ドンデン返しの大ヒットを飛ばすことこができた。そしてその後はあえて物語構築の定番を壊した実験的な作品を作りつづけている。


そういった意味では、両監督は物語構築の基本を忠実に用いて安定したヒット作を世に送り出しつづける職人的監督とは、とうてい言えない。


自身の興味のあることを実験的手法を用いてどこまで探求しつづける、いわば研究家や冒険家に近い性格と内容の仕事を続けているのだ。


そうであるから、両監督の作品は「ワケがわからないんだけれども、なんとなく意味ありげ」ということになる。そんな作品は当然のように一般ウケはしないのであるが、奇跡的に、もしくは戦略的に宮崎駿監督作品は時代にマッチ(「環境」と「風の谷のナウシカ」)して、その後アニメキャラのヒットで商業的活路を見出して押しも押されぬ天才巨匠監督といわれるようになった。


映画の撮り方や方向性はM・ナイト・シャマラン監督とたいして変わらないのに巨匠の地位を得た宮崎駿監督は、アニメという土壌を選んだ幸運と、キャラクターを意識した作品展開といった方策がうまく合致したことや、それをある程度見据えて作品づくりをずっと続けてきた年の功もあって、天才監督といわれるまでになったのだ。


そして両監督の類似性はキリスト教文化についてもみてとれる。


「崖の上のポニョ」がキリスト教文化の影響が色濃くみてとれるのと同じように「レディ・イン・ザ・ウォーター」にも同じようにそれがみてとれるのは、クリーブランドの名前の由来やストーリーとの出会いのシーンだけではない。以下に書き出してみよう。


●「The Cove」
物語の舞台となるアパートの名前「The Cove」には、入り江・小湾の意味がある。このように人間(人類)が救われるには「水」が関係する場所や名前が象徴的に使われる。


●ナーフとストーリーとの出会いのシーンで、クリーブランドはプールの水の中に落ちて気を失う
自宅のベッドで意識を取り戻したクリーブランド、自分がストーリーに救われたことを悟る。水に全身が浸かって再び意識が戻るのは、死と再生の象徴。キリスト教会の洗礼の儀式とも通じる(プロテスタントのある宗派では一度全身を水に沈める洗礼式をとりおこなう)。


●通訳を必要とするクリーブランド
クリーブランドは、アパートのアジア系の住人が知っている海の精の伝説を聞き出し、ストーリーを助けようとする。海の精の伝説を知っているのは英語が話せないアジア系の婦人。そのためクリーブランドは婦人の娘(女子大生?)に通訳してもらう。緊急時には電話を使ってまで海の精の伝説の話を聞きだす様子は、神の言葉を直接聞くことができない人間が通訳者(預言者)を通して聞こうとすることをイメージさせる。
クリーブランドはこうして「情報収集=神の言葉を聞く」を行い、人類の救いのために働く。


●ストーリーは人間界にやってきて「選ばれた人」に会う
聖書では偉大な指導者になる人物に、預言者が油を注ぐシーンがある。また、マリアへの「受胎告知」では天使が遣われれた。つまり「選ばれた者」にそれを伝える使者の役割をストーリーが担っている。


●「選ばれし者」は本を書く
ストーリーによって「選ばれし者(器)」とわかった人物は本を書き、それが将来、世界の指導者になる人物に影響を与えるという。本とはつまり、預言の書や、四福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)とよばれる新約聖書の福音書を象徴している。
ちなみにこの「選ばれし者」の役はM・ナイト・シャマラン監督自身が演じている。監督は自身の作品にチョイ役として出演するのが通例となっているが、今作では堂々と出演シーンも多い重要な役どころとして出演している。
本を書くとはつまり脚本を書くことであり、自身の脚本=映画作品が人類を救うほどの重要で偉大なものだと自分で宣伝しちゃってる感アリアリなのは、監督なりの愛嬌なのかもしれない。
さらに選ばれし者が書いた本が世界で中で高い評価を得るのは「選ばれし者=M・ナイト・シャマラン」の死後だというから、かなりのオチャメぶりを発揮しているといえよう。


●ストーリーはナーフの女王「マダム・ナーフ」だとわかる
はじめはただの使者だとおもっていたものが、実はそうではなくナーフの女王だとわかるのは、はじめは多くの人々がただの預言者=人間だとおもわれていたイエスが神の子だとわかることを象徴している。


●ストーリーをブルー・ワールドに帰すには人間の協力が必要
ストーリーを帰すには「通訳」「守護者」「ギルド」「癒し手」が必要。これはイエスが天に帰るまでその働きを助けたイエスの12弟子を象徴する。


●ミスリーディング
ストーリーをブルー・ワールドに帰すために必要な「通訳」「守護者」「ギルド」「癒し手」の人選にミスリードが発生。映画評論家ファーバーの助言がミスリードの原因である。つまり、悪=サタンの妨害にあうのだ。
ちなみに映画評論家ファーバーは、ミスリーディングの原因をつくった悪者、つまりM・ナイト・シャマラン監督作品を酷評して観客にミスリーディングさせた悪者として、草の毛を持つ猛獣スクラントに襲撃されて殺されてしまう。
猛獣スクラントに遭遇した映画評論家ファーバーは「映画ではこういう場合に間一髪で助かるとうのが定番だからきっとぼくも助かる」といったような意味のことをつぶいて逃れようとするが、あっさりと襲われてしまう。
M・ナイト・シャマラン監督の映画評論家嫌いを象徴する、なんともはっちゃけったブラックユーモアの笑いのシーンだ。


●3人の番人タートゥティック(守護獣)
ストーリーを守るはずの守護獣はなかなか姿を現さない。人間たちにはその存在さえ疑われる守護獣は、人間の目ではなかなか見ることができない。これはつまり「聖霊」を象徴する。
また、3という数字は聖書によく登場する数字(イエスの誕生を祝った3人の博士。十字架での死と三日目の復活。ヨハネの黙示録3天使の使命など)。


●ストーリーは巨大なワシと共にブルーワールドに帰る
キリスト教美術での象徴表現では、イエスの弟子ヨハネは「鷲」である。また、同名でヨルダン川でイエスに洗礼をさずけた預言者ヨハネ(バプテスマのヨハネ、洗者ヨハネ)もいる。預言者ヨハネはバプテスマ・洗礼のキーワードから「水」を象徴する。
ストーリーがブルーワールドに帰る場所はアパートのプールがある場所。「水」が関連していることがわかるだろう。そして「鷲」は昇天におけるキリストであるとも解釈される。


サッと思いついただけでも以上のようなことがうかがえるのだが、まだまだ随所に深い暗号(?)やメッセージが埋め込まれているように思う。


そのすべてを解読するには私では役不足であり、また複数の「知」の力が必要だ。


というのはキリスト教文化のみならず、世界情勢も絡めていることがうかがえるからだ。


たとえばクリーブランドといえばロックフェラー家の本拠地として有名だし、ストーリーをブルーワールドへ帰すために必要な儀式に参列する「ギルド」は7人姉妹だとわかることからも「7人姉妹=セブン・シスターズ」とくれば、石油メジャー7社が思い浮かぶ。


「ギルド」の7人姉妹のうち5人が、ひとつのまとまりの姉妹だというのも「セブン・シスターズ」のうちで5社がアメリカの企業(エクソン、シェブロン、モービル、ガルフ石油、テキサコだということにも一致する。


ロックフェラーの子孫は副大統領や州知事やアメリカ合衆国上院議員になっている者もいる。
ストーリーによって「選ばれし者(器)」とわかった人物は本を書き、それが将来、世界の指導者になる人物に影響するというのも、ここになにかしら関わっていると監督は言いたいのかも知れない。


そんなふうにああでもないこうでもないと思いを馳せながら、ときにおちゃめなはっちゃけぶりに笑いをふきだしながら観るのが「レディ・イン・ザ・ウォーター」の楽しみ方だ。


とはいっても、多くの観客はアパートの住人たちがナーフだのブルーワールドだのといった話を大真面目(かのように)信じてしまうのが全く合点がいかないと感じるだろう。


それもそのはず、神話や聖書の定番として「救いは思いもしない、とうてい信じられないようなところにある」というのがあるからだ。


近いうちに天からイチゴが大量に降ってくると言われたら、あなたはそれを信じるだろうか。


世界はイチゴで埋め尽くされてしまうからその対策や準備をしなさいといわれたら、あなたはそれを真に受けるだろうか。


では、こんなのはどうだろう。かつてこれまで一度も雨が降ったことがない時代があった。そんなとき、水辺から遠く離れた場所に大きな船を作りはじめた男がいた。


男は近いうちに天から水が降ってきて世界中が水で覆われてしまうと人々に警告したが、あいつは頭がおかしいといわれて、だれも耳を貸そうとしなかった。

これは聖書に記されている「ノアの洪水」の話である。ちなみに「ノア」といえば映画「ヴィレッジ」の重要な登場人物の名前でもある。

▼「ヴィレッジ(THE VILLAGE)」


こういった、神話や聖書の定番としての「救いは思いもしない、とうてい信じられないようなところにある」からすれば「レディ・イン・ザ・ウォーター」の物語はむしろ定番・基本に沿ったものであり、その話を信じないばかりか妨害した者(映画評論家ファーバー)は命を落とすことになったというのも定番・基本である。


そこに監督ならではの大真面目のギャグというか、ブラックユーモアというか、あえてハリウッド的常識を壊してみるというか、そんな遊び心と実験的手法さえも笑ってみようという観客は、残念ながら少数といわざるをえない。


実験的手法は後の「ハプニング」で究極の域に達するから、監督の気が変わらない限り、とうぶんの間は「シックスセンス」みたいな大ヒット作は期待できないが「実験的・深く・ブラックユーモア」というキーワードにおいては、M・ナイト・シャマラン監督はマニア的人気を保っていくかもしれない。


いや、ほんと深すぎて、実験的すぎるのだ。それをおもしろがって意図的にやっていそうであるから、他人には真似できない強烈な個性を放っていることだけはまちがいないのだが、かわいい個性的なアニメキャラみたいなものは登場しないので、一般ウケする余地はまず見当たらない。


天才は後の世になってから評価されるというから、本人も作中で自分がそうであると暗示していることからも、M・ナイト・シャマラン監督作品は50年後にめっちゃ高く評価されるかもしれない。


映画はどうしてヒットするのかとか、映画のキリスト教文化とか、そういったことに魅力を感じる人なら、かぁなぁりおもしろい作品なのだが……。


それにしてもM・ナイト・シャマラン監督と宮崎駿監督って、似ているなぁとしみじみ思わされたのであった。


▼「ハプニング」とキリスト教文化
この記事へのコメント
突然のコメント失礼致します。
失礼ながら、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
http://sirube-note.com/interpreter/

もしよろしければ、こちらのページから相互リンク登録していただけましたら幸いです。
http://sirube-note.com/interpreter/link/register/
今後ともよろしくお願い致します。
NXTt7Gd2
Posted by sirube at 2009年06月06日 01:09
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