2009年01月31日

「幻影師アイゼンハイム」とキリスト教文化

「幻影師アイゼンハイム(THE ILLUSIONIST)」

B001FMTY6S幻影師 アイゼンハイム [DVD]
エドワード・ノートン, ポール・ジアマッティ, ジェシカ・ビール, ルーファス・シーウェル, ニール・バーガ-
東宝 2008-11-21

by G-Tools


監督: ニール・バーガー
アメリカ・チェコ/2006年/109分
原作:スティーヴン・ミルハウザーの短編「幻影師、アイゼンハイム」


ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
奇術が一世を風靡する19世紀末のウィーン。
絶大な人気を誇る幻影師アイゼンハイムは、ある奇術の舞台上で幼馴染のソフィと再会する。彼女は公爵令嬢で皇太子の婚約者といわれていたが、謎の死をとげる。
やがてアイゼンハイムは舞台であの世の人間の幻影を浮かび上がらせる奇術を発表してますます人気者になる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△アイゼンハイム
 幻影師

△ウール
 警部

▽ソフィ
 公爵令嬢。アイゼンハイムの幼友達。

△レオポルド
 皇太子


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
奇術を用いて、最高の喜びを作り出す奇跡を行った人たちのお話。「いい男か、いい女か」がわかっちゃう!?良質なラブストーリー。

■ 夢はみるもの? 叶えるもの?

夢をみたことがあるだろうか。

ここでいう夢とは、将来の希望といった意味だ。

そして、こんなフレーズをきいたことがあるだろうか。

「夢はみるものじゃない。叶えるものだ」

さて、少年は平民階級の出身で家具職人の子。少女は貴族階級の出身で公爵令嬢。

公爵といえば貴族のなかでも上位である。そんな身分違いの恋は成就するのか。

身分違いの恋愛といえば「ロミオとジュリエット」をはじめ、数々の物語で用いられる定番の設定である。

大韓民国のラブストーリーの多くは、身分違いの男女の出会いと交通事故と不治の病の3点セットを使って、水戸黄門バリのワンパターンで映画やドラマを量産している。

そんなわけで「身分違いの恋」が困難だらけに思えれば思えるほど「障害(コンフリクツ)」が増えて劇的になるのだから「幻影師アイゼンハイム」がこれを用いるのは基本に忠実だといえる。

さて、基本の「身分違いの恋」を成就させようとするのは、まさに夢物語だ。

夢だからこそ、観客はその成就や実現に胸おどらせる。それは、観客も身分違いの恋の物語を「夢みた」ことがあるからだ。

では「夢はみるものじゃない。叶えるものだ」としたら、人々はどうするだろう?

おそらく、ある人はなにもしないだろう。

しょせん夢物語だから、現実にはそうはならないから、現実とは違うから。そうであるからフィクションの世界、つまり映画を観るのだという人もいる。

たしかにそのとおりだ。だが、それは映画の観方(観る目的や解釈の仕方)のひとつにすぎない。

現実にはなかなかそうはならないからこそ、映画を観ることで自分の生き方を夢の実現に向けて奮い立たようとする、そんな映画の観方をする人だっているのだ。

では平民の自分と、公爵令嬢である愛するソフィアが共に生きる「夢」をみたアイゼンハイムはどうしただろうか?


■ 奇跡を起こすには

夢の実現。それが困難であればあるほど、人はそれを偉業と呼ぶ。ときにそれを「奇跡」と呼ぶ。

新約聖書にはイエスの奇跡に関する記述がある。

病人を癒したとか、取り憑いた悪霊を追い出したとか、死人を蘇らせたとか、水上を歩いたとか、そういったさまざまな奇跡が記されている。

こうしてみると、いつでもどこでもイエスは奇跡を行えたように思えるかもしれない。だが、そうではない。

水上を歩くイエスをみたペテロは「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」と願った。

イエスに「おいでなさい」と言われたペテロは舟から降りて水の上を歩いてイエスのところに行く。しかし風に恐れをなしておぼれかけるのだ。

ペテロはイエスに手をつかまれて救われ「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。

風をおそれずイエスを信じさえすればペテロはおぼれかけることはなかっただろう。水上を歩く奇跡が起きるのは、それを体験する側が絶対的に信じる心を持たなくてはならない。これを「信仰」という。

またある日、イエスのもとに百卒長の使いがやってきて、病気で死にかかっている僕(しもべ)を助けにきてほしいとお願いする。

願いをきいて百卒長の家に向かったイエスが家からほど遠くないあたりまできたとき、百卒長に使わされた友人がやってきた。

使わされた友人は、ご足労くださいませんように。ただお言葉をください、と言った。

イエスはこれを聞いて非常に感心され「これほどの信仰は、イスラエルの中でもみたことがない」と言われた。

使いにきた者たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた。

これも信仰によって奇跡に遭遇した話である。

ほかにも聖書には長血を患った女がイエスの着物の一端に触れただけで病気が治ったという奇跡も記されている。

これらのエピソードからわかることは、奇跡が起こるにはそれを受ける側、体験する側に信じる心が必要だということだ。

「幻影師アイゼンハイム」のアイゼンハイムは、身分違いの愛する女性ソフィと共に生きるという、当時の常識ではとうてい実現不可能だと思える夢にどう向き合ったのか。

しかも相手の女性はハプスブルク皇帝の皇太子の婚約者だ。愛する人と一緒になろうとすれば、命がいくつあっても足りない。

多少ネタバレになってしまうが、この物語はハッピーエンドである。

ということは、アイゼンハイムの夢は、夢のままではなく、実現するのだ。

夢の実現という奇跡の完遂には、アイゼンハイムだけの力では不可能だった。

奇跡を起こせたのは、お互いを信じる心があったからだ。


■ 第三者を取り込む信じる力

この物語がおもしろいのは、奇術師が奇術をする当たり前の行為を使って奇跡を起こしたことにある。

さらに興味深いのは、奇跡を起こす信じる心をアイゼンハイムとソフィーだけでなく、知らず知らずのうちにウール警部も持つようになったことだ。

アイゼンハイム。ソフィー。そしてウールの3人が奇跡が起きたのだ。

「幻影師アイゼンハイム」はアイゼンハイムとソフィーの物語であるが、それを語るのはウール警部である。

語り部としての役割を担ったウール警部は、平民の肉屋の息子でありながら皇太子の側近として活躍するヤリ手の警部だ。

皇太子が皇帝になった暁には要職に就くことを約束された男。そんな立身出世の夢を叶えるために多少と思える悪に目をつむって首まで泥沼に浸かっていたが、首から上にはかろうじて良心を残していた。

だからこそ皇太子の命令に従い、アイゼンハイムの周囲を探り、幾度も彼を追い詰めながらも、心のどこかでこの奇術師を助けたいと願っている自分に、ふとウール警部は気づいたのだ。

結果的にアイゼンハイムはウール警部も奇跡の一部として用いた。だが奇跡への道筋をとおしてウール警部は、立身出世という夢からさめて、愛する人と一緒に生きる夢の実現の一端を、たとえそうと意識しておらずとも担ったことによって自分は救われたと感じたのではないか。

さらに、夢の実現という奇跡を成し遂げたアイゼンハワーとソフィアのお互いを信じる心に強く感銘したことだろう。


■ その他

奇跡ときくと、病人を癒したり、神の偉業を表したりする神聖なものとして受け止めなくてはいけないと身構えてしまうかもしれません。

けれども、イエスがはじめて行った奇跡は、病人を癒したのでもなく、天から火を降らせたのでもありません。

知り合いの婚礼の披露宴に招かれたイエスは、お客に出すぶどう酒がなくなって困っていると知り、水がめの水をぶどう酒に変える奇跡を行いました。

しかもこのぶどう酒はたいへんおいしく、ふつうはよいぶどう酒をはじめに出して酔いが回ったところですこし質が落ちるぶどう酒を出すところを、一番おいしいよいぶどう酒をとっておいたということで、披露宴の主催者も喜び、もちろん披露宴のお客さんも大喜びしました。

このようにイエスは人々が共に喜び、愛を祝福するようにと奇跡を行っています。しかもこれがイエスの最初の奇跡だといわれています。

アイゼンハイムは奇術師です。奇術師は奇術で観客を楽しませようとします。

では、みんなの最高の喜びなんでしょう。おそらく、だれだって愛する人と共に生きることではないでしょうか。

奇術を用いて、最高の喜びを作り出す奇跡を行った人たちのお話。

どうです? そんな話をぜひききたいと思いませんか?

アイゼンハイム役にはエドワード・ノートン。ソフィー役には「NEXT-ネクスト-」の美人女優ジェシカ・ビール。

性格俳優の名をもつエドワード・ノートンと最もセクシーな美女と話題のジェシカ・ビールの共演だけでも観る価値があります。

作品の色調はどちらかというと暗めですが、その進む先、目指す先は光に溢れています。

もしあなたが女性でデートでこの作品を映画館に観に連れて行ってもらえたなら、その彼は「いい男」だと思っていいでしょう。

ラブストーリーにもいろいろあります。たいていの恋愛映画は女性向けに作られていますから、男性からするとちっとも共感できないこともあります。

でも、男女共に「いいなぁ」と思えるよう作られた恋愛映画もあります。

「幻影師アイゼンハイム」はそんな良質のラブストーリーのひとつです。

もしあなたが男性で、デートで「幻影師アイゼンハイム」を観て、彼女がつまらなかったと言ったら、その彼女はあまりいい女性ではないかもしれません。

多くの恋愛映画が女性向けに作られているのですから、たいていの場合それらの映画をみて気持ちイイのは女性だけです。男性も楽しんでいるようで、実は大好きな彼女に合わせているだけなんてことはよくあること。

ありがちな恋愛映画とは雰囲気はかなり違うけど、きっとこれなら女性だけでなく男性も楽しめるだろうな、と少しでも思った女性なら「幻影師アイゼンハイム」を観終わって「つまらなかった」とは言わないでしょう。

デートでは、自分だけが楽しいのではなく相手も楽しめるかどうかが大事です。

アイゼンハイムとソフィア。ふたりの願いが叶う奇跡を起こせたのは、お互いに思いやり、お互いを信頼したからです。

さらに信頼の力はふたりだけなく、ウールをも動かし、奇跡を起こしました。

愛する人と一緒になれない、と絶望の淵にあると感じていた男女が救われたのは、信じることによってでした。

救いはどこからくるか。

そんな問いへの答えを「幻影師アイゼンハイム」は示してくれています。

デート      ◎
フラッと     ○
演出       ◎
アクション    −
キャラクター   ○
笑い       −
映像       ○
ファミリー    △
世界観      ○
奥深さ      ◎

映画メルマガ発行しています。
ズバッと映画紹介や濃い〜映画批評ならこのメルマガ。ドラマ、演劇、小説と多肢にわたる物語解説は他ではちょっと読めないゾ。日本ではほとんど知らされない映画に込められたキリスト教文化や歴史を解き明かす、巷で噂のまぐまぐ!殿堂入り映画レビューマガジンがこれ!

まぐまぐ!殿堂入りマガジン
▼「基本3分!映画レビュー わかりやすい映画案内」
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。