2009年01月29日

「ハプニング」とキリスト教文化

B001IKYRK0ハプニング (特別編) [DVD]
マーク・ウォールバーグ, ズーイー・デシャネル, ジョン・レグイザモ, アシュリン・サンチェス, M・ナイト・シャマラン
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2009-01-09

by G-Tools


「ハプニング(THE HAPPENING)」
監督:M・ナイト・シャマラン
アメリカ/2008年/91分

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
アメリカ合衆国でミツバチが消えたのとほぼ時を同じくして、ニューヨークのセントラルパークを皮切りに人々が突然死ぬ病が広がる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△エリオット
科学教師

△ジュリアン
エリオットの同僚教師

▽アルマ
エリオットの妻

▽ジェス
ジュリアンの娘。8歳。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
観客を選ぶ作品。M・ナイト・シャマラン監督と宮崎駿監督は似ている!?

■ 監督の生き方そのまま

「シックス・センス」の衝撃と成功により、M・ナイト・シャマラン監督の名は広く知れ渡った。

だから彼がどんな作品を撮ろうと、観客は「シックス・センス」を基準にとらえてしまう。「シックスセンス」と同じくらいか、またはそれ以上の衝撃を期待するのだ。

そのため「シックスセンス」以降の彼の作品の評価はあまり高くなく、興行収入も落ち込んでいるようだ。

たしかに「サイン」「ヴィレッジ」は多分に観客を選ぶ作品であった。観客が監督が考える恐怖に少なからず共感し、なおかつキリスト教文化の素養があれば奥深い作品と受け止めることができるといった作品だったのだ。詳細は以下作品レビューにて。

「ヴィレッジ(THE VILLAGE)」作品レビュー

早い段階でヒットを飛ばせば、次からは好きなようにやりやすいのは映画に限らず舞台や小説や漫画でもそのとおりである。

「シックス・センス」で一躍有名になったM・ナイト・シャマラン監督もその例にもれず、その後「アンブレイカブル」「サイン」「ヴィレッジ」「レディ・イン・ザ・ウォーター」と実験的ともおもえる手法と脚本で、深いテーマを描いてきた。

たいていは名が売れればもっと売れようと一般ウケしやすい作品づくりをしながら、たまにちょこっと自分の撮りたい実験的な作品をつくったりするものだが、M・ナイト・シャマラン監督はあえて「売れ筋路線」を歩まず、常に実験的な手法を貫き通してきたのだ。

そういった姿勢は凄いと思うのだが、興行収入という面から考えるとかなりキツくなっているといえよう。

「レディ・イン・ザ・ウォーター」はゴールデンラズベリー賞の最悪助演男優賞と最悪監督賞を受賞しており、興行的にもかなりの痛手を負ったという。

M・ナイト・シャマラン監督はもう「シックス・センス」のような話題作を作ることはできないのか、という声もあるが、おそらくはじめから一般ウケを狙っていたわけではなく、自分が作りたい作品を作ったらたまたま当たったのではないか。

はじめから一般ウケを狙っていたのだったら「シックス・センス」以降の作品は、大味だけどそこそこ観客の期待に応える作品を量産したことだろう。そうしなかったのは「シックス・センス」以前も以後も一貫して、自分が描きたいテーマをさまざまな手法を用いて映像化すると決めていたからだ。

だからM・ナイト・シャマラン監督作品は監督の生き方そのままを映す鏡だと思わなければ、なんだかよくわからない作品を撮る監督という評価になってしまう。


■ 宮崎駿監督と似ている!?

M・ナイト・シャマラン監督を少なからず理解しようと試みるときに参考になるが宮崎駿監督だ。

宮崎駿監督は「ルパン三世 カリオストロの城」で同業者や熱心なファンから高い評価を得つつも興行的には振るわず、一般ウケはしなかった。

その後、SFアニメ全盛もあって彼の作風は時代に合わないとされ、長いあいだ映画・アニメ関係者から無視されつづけてきた。それでも宮崎駿は自身が描きたいものだけを描こうとしていた。

この不遇の時代に「となりのトトロ」「もののけ姫」「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」といった、後にヒットを記録する作品群の構想を練っている。

やがて「環境」というキーワードがクローズアップされつつある時代の波をうけ、幸運にも「風の谷のナウシカ」がヒットした。その後もそれまでと変わらず自分の描きたい作品をつくりつづけ、それがまたヒットした。気がつけば周りから巨匠とよばれるようになっていた。

このように、比較的早い段階でヒット作を撮ったM・ナイト・シャマラン監督との違いはあれ、作品づくりの姿勢においては、両監督は似ている。どちらもヒット作の前後を一貫して、自分が描きたいテーマを自分が使いたい手法を用いてつくりつづけてきたのだ。

M・ナイト・シャマラン監督作品の脚本は、映画会社からみればイマイチで反対されたというが、それでも作品を撮った。

宮崎駿監督の作品、たとえば近年の「崖の上のポニョ」の脚本をもしもハリウッドの映画会社がみればイマイチだとして反対されるだろう。

だが今や日本で宮崎駿監督の企画に待ったをかける者はおらず、結果として「崖の上のポニョ」は脚本としてはハチャメチャなわけのわからない作品となった。良くいえば多分に実験意欲にあふれる奥深い作品である。

奇遇なのかM・ナイト・シャマラン監督と宮崎駿監督の作品づくりの姿勢はたいへん似ている。特に近年の作品はどちらも実験的で、たいへん奥が深い。

しかしM・ナイト・シャマラン監督の「ハプニング」には半漁人キャラも、かわいらしい女の子が歌う主題歌もない。あるのは人々の突然の死と、町の風景と田舎の風景と、風にゆれる木々と草花だけだ。


■ むちゃぶりか!

役者とカメラを渡されて、さぁおもしろい映画を撮ってくださいと言われたあなたならどうするだろう。

そんなむちゃぶりを! と思うかもしれない。

そこで怪獣の着ぐるみとヒーロー戦隊を発注して、ヘリと火薬とCGスタッフも用意させて……とあれもこれも使いたくなるかもしれない。

使えるものはなんでも使えばいい。だが、いろいろ使って実験を重ねていくなかで、自分が描きたいものを描くのに必要なのは役者とカメラだけでじゅうぶんだと考えるようになった。その結果生まれたのが「ハプニング」ではないか。

ある日とつぜん人が死にはじめる。人が本来備えている生存本能が破壊され、突然自殺行為にはしり、これを完遂するのだ。

その原因が何なのか。明確な答えをみつけられないまま主人公は様々な仮説を立てながら生きのびようとする。

得たいの知れない恐怖。

これはアメリカ映画にはよくある、何度も使い古されてきたものだが、アメリカ人にとってはなにより怖い。

ハリウッドがなぜ日本のホラー作品「呪怨」のリメイク「THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)」を作ったのか。そこにはアメリカ人がもっとも怖れるものが描かれていたからにほかならない。

「THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)」もいわゆるストーリーらしきものはない。とにかく郊外の一軒家に一歩でも足を踏み入れた者たちが次々に死んでいく、または幽霊に遭遇して恐怖におののく、というものだ。死を逃れる法則が、みあたらない。

「ハプニング」もある日突然、人々が死に至る。死を逃れる法則が、みあたらない(いくらかはみあたるのだが)。

「崖の上のポニョ」もある日突然人面魚が現れ、どこまでもどこまでも人間の少年をつけまわす(ホラー風にいえばだが)。なぜ人面魚が人間の少年に好意を寄せ、少年もまた人面魚をどこまでも愛するのかは説明されない。(解釈の仕方によっては答えを導き出すことはできる)。

ポニョについては余談であったが、「THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)」も「ハプニング」も、アメリカ人がもっとも怖れるものが根底にある。それは「●●●な恐怖」である。

詳細は以下のレポート(E−BOOK)にて。

▼「THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)」徹底解説
  〜ハリウッドがジャパンホラーを買いたがる理由〜


■ 人はパンだけで生きるものではなく

「ハプニング」は観方によってはさまざまな解釈ができる奥深い作品なので、例によってキリスト教文化の側面から眺めてみよう。

「ハプニング」には兆候がある。第1の兆候は言葉の混乱。

突然言葉がおかしくなり、何を言っているのかわらなくなる。コミュニケーションが不能となるのだ。

聖書には、天までとどく塔と建てようとした「バベルの塔」が登場する。塔の下で作業する人と、上で作業する人との言葉を違えることで、コミュニケーションができなくなり、塔は建設中止になったという話だ。

「ハプニング」の第2の兆候は方向感覚の喪失

方向感覚を喪失すれば、危険な方向へフラフラと移動してしまうかもしれない。安全な方向を常に認識していなければ、人は危険に晒される。

方向感覚とは、生きる指標ともいえる。こうあるべきという目指すべき指標がなければ、フラフラとさまよい、生きいくことが困難と感じるようになる。方向感覚を失ったままで待ち受けるのは……。

「ハプニング」の第3の兆候は死。

言葉が混乱し、方向感覚を失えば、たどりつくのは死……。

「ハプニング」では死が突然訪れるのだが、実は突然ではない。死に至る過程がきちんと説明されているのである。

聖書やキリスト教的な解釈をするならば「言葉の混乱」は神を畏れない行い(バベルの塔建設)によって「神=神の言葉」から離れて混乱状態になった人間である。

「神=神の言葉」を失った人間は、生きる指標を失い、さまよう。

人間の魂(心)に聖霊がすっかりなくった状態でさまよいつづけると、たとえ食事を採っても、霊的(魂や心といった意味)には死んだも同然になる。(「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言〔ことば〕で生きるものである」マタイによる福音書第4章4節)

言葉を失ってさまよいつづけた先にたどりつく「死」は、そうとはっきり気づいていない人々の目には「突然の死」と映る。

死から逃れようと逃げ惑う人々がパニックに陥るなか「ハプニング」の主人公エリオットは文字通り必死に死から逃れるためになんらかの法則をみつけようと考える。連れがどうすべきか急かされるなか「時間をくれ」と何度も言って考えるのだ。

死がすぐそこまで迫れば、ふつうの人間は逃げ惑うだけだ。

だがエリオットは必死に考える。

風が吹き、木々や草花を揺らす田舎の土地で立ち止まり、必死に考えるエリオット。

死に至る病が流行っていなければ、エリオットの様子はたいへんおかしく見えるのではないか。

偉人や天才と言われる人は、一般人からみれば奇人・変人にみえることがあるという。

イエス・キリストが教えを説いて歩きだしたとき、人々は、大工の息子が何を言っている、と変人を見るような目で見たという。

海や川から遠い場所に箱舟を作り始めたノアも、周囲の人々に、あいつは頭がおかしくなった、と言われたという。

風が吹き、木々や草花を揺らす田舎の土地で立ち止まり、必死に「死」から逃れる方法をみつけようと考えるエリオットの姿を、どう観るかで「ハプニング」の評価はまったく違ったものになるだろう。


■ その他

わかりやすくいうと「ハプニング」はM・ナイト・シャマラン監督という「味」をある程度知って覚悟する心構えがなければ、なかなか楽しめない作品でしょう。

ひとりで観る部類の作品ですね。

彼氏・彼女と観たり、友人たちとのパジャマパーティで観たりするような作品ではありません。

まぁ、深過ぎるんだとおもいます。

そう考えると、同じように深すぎる作品を撮ってもけっこう興行的に成功する宮崎駿監督は、不遇の時代があったとはいえ、監督としては幸せかもしれないですね。

デート      ×
フラッと     ×
演出       ○
キャラクター   △
笑い       −
映像       △
ファミリー    −
実験       ○
奥深さ      ○

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