「ほんとうはクリスマスに観るべき映画」
〜映画史に残る名シーンだといわれるほんとうの意味〜
この作品をクリスマス映画としてとりあげる人は、まずめったにいないでしょう。
一見しただけではクリスマスと関係しているとはとうてい思えないような映画作品をご紹介します。
前号よりつづきましてクリスマス特集をお届けします。
前号ではイエス・キリストの誕生がどれほど重要なことなのかについてお話しました。
「クリスマスのほんとうの意味」
<あなたは他に見たことがあるだろうか?
冒頭に人名が次々につづく系図が載っている物語の本を――。>
知っているようで知らないイエス・キリスト誕生の意味。
今回は、イエス・キリストの誕生の物語を映画作品と共にご紹介します。
■ イエスの誕生〜飼い葉桶に寝かされる〜
マタイによる福音書の冒頭の系図のとおり、アブラハムの子孫にあたる
ナザレのヨセフは、マリヤと婚約していました。
しかしヨセフはマリヤとの結婚をとりやめようとします。
なぜなら、婚姻前にもかかわらずマリヤが身ごもったからです。ヨセフ
はマリヤは婚約の誓いに不誠実だったと思ったのです。
実はマリヤは大天使ガブリエルに、あなたは身ごもって男の子を産み、その子をイエスと名づけるように、と告げられていたのです。これが有名な「受胎告知」です。
マリヤと別れようとしたヨセフでしたが、彼のもとに天使があらわれて、マリヤが聖霊によって身ごもったことを知らされます。それでヨセフはマリヤと結婚します。
さて、ときのローマ皇帝アウグストゥスは人口調査を命じます。ヨセフも出産間近のマリヤをつれて故郷のベツレヘムへ向かいます。
ベツレヘムには大勢の人が集まっていたので宿はどこもいっぱいです。ようやくみつけたのは馬小屋。
その夜、マリヤは馬小屋で男の子を産み、布で包んで飼い葉桶に寝かせます。
ユダヤの民にとって待ちに待ったイエスの誕生。その場所は王宮でもお城でも御殿でもなく、馬小屋だったのです。
しかも、イエスの誕生を祝いにやってきたのは羊飼いと3人の博士たちだけでした。
最初に駆けつけたのは羊飼いです。
■ 羊飼いのなぜ
イスラエルの民が待ち望んだイエスの誕生に最初に駆けつけたのは祭司や律法学者といった地位が高いとされる人たちではなく、なぜ羊飼いだったのでしょう。
そもそもイスラエルの民は、アブラハムの時代は遊牧民でした。ときに農耕もしましたが、その生活様式の基本は遊牧民です。
羊飼いの仕事はイスラエルの祖先の職業であり、イスラエルの民の根源の姿でもあります。
アブラハム、イサク、ヤコブの時代を思わせる羊飼いが真っ先にイエス誕生のお祝いに駆けつけたのは、アブラハムと神が結んだ契約がここに成就したことを象徴しているかのようです。
■ ふたつの資質をもつ指導者たち
羊飼いの次にやってきたのは3人の博士です。博士たちは知恵を象徴します。
イスラエル民族の原点である神との契約を象徴する羊飼い。そして知恵を持つ博士。このふたつの資質はイスラエルの民を救い、人類を救う者に備わるべきものを象徴しています。
旧約聖書の時代にイスラエルの民を導いた指導者を思い浮かべてみましょう。
彼ら指導者は羊飼いに象徴されるイスラエル民族の教えと、それぞれの時代の最先端の英知をもっていたことがわかります。
たとえばヨセフ。ここでいうヨセフとは、マリヤの夫のヨセフではありません。アブラハム−イサク−ヤコブの12人の息子の11番目のヨセフ(母はラケル)です。
ヨセフは10代の後半頃まで羊飼いの修行をします。しかし兄たちの嫉妬をかって銀20枚で商隊に売られてしまいます。
商隊が着いた先はエジプト。ヨセフはエジプトの有力者の大きな家に奴隷として売られます。
家の主人によって才能を見出されたヨセフは奴隷の身でありながら、主人の妻以外の家の中のすべての管理を任されるようになります。
その後、投獄される試練にあいますが、やがてパロ(エジプトの王)の夢を解き明かし、エジプトの宰相となります。パロの次に権力を持つ地位に就くのです。
このようにヨセフはイスラエルの民族の教えという基礎を持ちつつ、当時最高の知恵と技術を持ったエジプトの宰相として活躍できる英知を持っていたのです。
もうひとり、偉大な指導者とされる人物にモーセがいます。
モーセが生まれたのは、エジプトの宰相ヨセフが亡くなってからずいぶん経った、ヨセフのことを知らないパロ(エジプトの王)が現れた頃です。
モーセは5,6歳ぐらいまではイスラエルの歴史と教えを教え込まれまた後、エジプトの王宮に王子として入り、エジプト人として当時最高の教養と知識を学んで身につけます。やがて40歳ぐらいの頃に王宮を離れ、野に下って羊飼いとなります。
イスラエルの偉大な指導者といわれたヨセフもモーセも、イスラエルの民としての歴史と教えを受け、当時最高の知識と知恵を併せ持った人物だったのです。
羊飼いたちと3人の博士たち。彼らが誕生のお祝いにかけつけたのは、イエスがイスラエルの偉大な指導者たち以上に、大きな働きをするだいへん重要な人物であることを示しているのです。
■ もうひとりの指導者
さて、ここである映画作品のお話をしましょう。この作品をクリスマス映画としてとりあげる人は、まずめったにいないでしょう。
一般的にクリスマス映画とされる作品は、ほかでいくらでも紹介されているでしょうから、ここでは一見しただけではクリスマスと関係しているとはとうてい思えないような映画作品をご紹介します。
その映画の主人公は、モーセのような人物です。
はじめは虐げられた側にいたのが、途中で虐げる側(ここでは支配層側)に移り、その後ふたたび虐げられる側について、人々の希望と救いのためにはたらきます。
先にもお話したとおりモーセはイスラエル部族の出身ながら、エジプトの王子として育ちます。
ではモーセが生まれた当時のイスラエルの民はどのような状況にあったかをみてみましょう。
当時のイスラエルの民は、エジプトの地にあって奴隷の身分でした。しかもモーセが生まれたのはちょうど、イスラエルの民が生んだ男の子はナイル川に投げ込め、という命令がエジプトのパロから出ていたときです。
エジプトのパロは、自国でイスラエルの民が増えることを恐れていました。だからそんな残酷な命令を出したのです。
イスラエルの民は奴隷として重労働の日々を送りながら、生まれてくる男の子さえ安心して育てることができない状況にあったのです。
過酷な重労働で疲弊するよう仕向け、生まれてくる男の子をナイル川に投げ込めという命令は、その部族・民族を皆殺しにせよとの命令と同じです。
イスラエルの民たちにとっては、まさに真っ暗闇の状況です。それでも生きてこれたのは、イスラエルの民たちはエジプト人たちと少し離れた地域に住んでいたために、エジプトの風習や文化に染まっていなかったからです。
エジプトの風習や文化とは、多神教の偶像礼拝のことです。
当時のイスラエルの民は、アブラハム−イサク−ヤコブの時代と比べれば、神との距離というか信仰心の熱意といったものは薄れていましたが、それでも偶像礼拝はしていませんでした。
アブラハムと神との契約(約束の地カナンに救い出し、そこで繁栄させる)を知っているが、過度な期待を持たずに毎日を生き抜いてきたという状況でした。
過酷な労働の日々。子孫繁栄の道が閉ざされようとしている、普通だったらお先真っ暗の状態といっていいような状況であったのです。
こうしたことを頭に入れながら、ある映画の主人公に登場してもらいましょう。
■ 暗闇の時代に現れた守護者・指導者
彼の名は、セオといいます。
学生運動の活動家だったセオは、今ではエネルギー省の官僚になっています。
かつての情熱は消えうせたかのようになり、体制側に組み込まれて何の希望も持っていないかのようです。
それはセオだけではありません。彼が住むロンドンのみならず、世界中の人々には希望の光はかぎりなく消えかかっているように感じているのです。
なぜなら西暦2027年のこの世界での最年少は18歳であり、それはつまり18年間にわたって新生児が誕生していないからです。
各地で内戦やテロが起き、世界は無秩序状態に。かろうじて秩序らしきものを保っているのは英国ぐらいなもの。そんな英国も、軍隊が国境を警備して移民を厳しく取り締まっており、国内においても反政府組織の動向に常に目を光らせているのです。
そしてついに人類最年少者が、熱狂的なファンによって殺される事件が発生。希望の光は完全に消え去ってしまったかのような状態になります。
希望の光が消えてしまったかのような状態は、まるで映画「ブラインドネス」の全人類失明→希望なしの暗闇や、映画「ダークナイト」の混沌として希望の光が見えないゴッサムシティのようですね。
さて、そんな折りエネルギー省の官僚セオは彼の元妻ジュリアン率いる反政府組織に拉致されます。組織が保護する移民の黒人女性・キーを「ヒューマン・プロジェクト」という組織に送り届けてほしいと依頼されます。
ちなみにこの反政府組織の名は「FISH」。
キリスト教で魚といえば「イクトゥス」。ギリシャ語で魚という意味で、イエス・キリスト、神の子、救世主をあらわします。
初期のキリスト教徒が迫害を逃れる際に隠れシンボルとして用いました。現在でもキリスト教のシンボルとしてよく使われています。
さらにちなみに「崖の上のポニョ」のポニョも、元は魚です。この作品には、魚だったものが人間の姿かたちに近づいて海の上(水上)を走る(歩く)というシーンがありますね。
水上を歩くといえば、弟子たちの前でガリラヤ湖の上を歩いたイエス・キリストがすぐに思い浮かびます。そこに魚のシンボルとくれば、もうこれはそのまんまキリスト教とイエス・キリストを象徴していることがわかります。
このシーンは「崖の上のポニョ」がキリスト教色が濃いといわれる理由のひとつともなっています。
本題に戻ります。
モーセの時代のイスラエルの民が置かれた状況と、セオの時代に人類が置かれた状況はそっくりです。
ひとことでいうなら、希望という光が消えかかってしまいそうな状況です。
イスラエルの民がエジプトにやってきてから400年以上経ち、もはや約束の地カナンに導かれるという約束は知ってはいても実感はなかなかわきません。
18年間赤ん坊が生まれず、人類最年少の少年が殺されてしまいました。もうあたらしい赤ん坊は生まれないのではないかと感じている。
まさに希望なきに等しいと感じる時代に現れたのがモーセであり、セオなのです。
■ 牛舎とサンダル
セオのはたらきをみてみましょう。
依頼を受けたセオがヒューマン・プロジェクトまで送り届けることになった黒人女性のキーは、農場の牛舎で妊娠していることを明かします。
牛舎で重大なことが明かされたのです!
重大なこと、つまり身ごもっていることを明かたことは、セオにとって、人類にとって希望の光が射し込んだことを意味します。
キーは牛舎では赤ん坊を産みませんが、そこで身ごもっていることを明かしたことは、赤ん坊が生まれるという意味で、実際に生まれたのと同じぐらいの「希望の光」をセオに与えます。
なぜ牛舎だったのか。牛が馬にかわれば馬小屋ですね。
馬小屋そのまんまではなく、ちょっとヒネって牛舎にしたのでしょう。
または、エジプトを出たイスラエルの民が神にそむいて金の子牛を作
って拝んだ(偶像礼拝)のこともありますから、牛のいるところでは
赤ん坊は誕生させなかったのかもしれません。
やがて混乱のなかをなんとか逃げのびたセオとキーは、路地裏の安宿のようなところに避難します。
そこで赤ん坊が生まれます。
牛舎では反政府組織のメンバーたちに守られていたキーですが、赤ん坊が生まれたときにそばにいたのはセオだけです。
イエスが生まれたときも、そばにいたのは夫のヨセフだけでした。
赤ん坊が生まれたのち、地下組織と政府軍との戦闘状態に突入した収容所の市街地で戦火のなかをセオはキーとその赤ん坊を守ろうとします。
セオは武術が得意なわけでもなく、武器を自由自在に扱うわけでもありません。武器に手を触れようともしません。丸腰です。足元は靴ではなくビーチサンダルを履いてます。
非暴力。そしてサンダル。セオは靴ではなくサンダルを「選び取って」履きます。それはイエス・キリストがその時代の日常の履物であったサンダルを履いて伝道して歩いたからでしょう。
■ 映画史に残る戦闘シーンだといわれるほんとうの意味
この映画の一般的にいわれる最大のみどころは、地下組織と政府軍とが戦闘を繰り広げる市街地での8分強のワンショット映像です。
8分強のワンショットというのは、いわゆる長回しです。しかもアクションを多用する戦闘シーンです。
この戦闘のさなかを、セオはキーと赤ん坊を守りながら移動します。カメラはセオたちと一緒に移動します。その約8分間がワンショットなのです。
このシーンで観客はあたかも自分がセオと同じ場面にいて、共にキーと赤ん坊を守るために戦火の真っ只中を移動してるかのように感じます。
この凄まじい戦火の中を切り抜けようとするシーンは、希望なき暗闇の世界、絶望の暗い奥底のなかをひとつの希望の灯火を信じて守ろうとする信仰者の苦難をあらわしています。
やがて激しい銃声が次々に止んでいきます。銃声が止んでいくかわりにきこえてくるのは泣き声。
そう、赤ん坊の泣き声です。
それまで銃を撃っていた兵士たちは、セオに守られながら赤ん坊を抱いてゆっくり歩くキーに道をあけ、言葉にならない感動に包まれて立ち尽くします。
数ある戦争映画の戦闘シーンのなかでも、この作品の8分強の戦闘シーンが映画史に残る名シーンだといわれるのは、ワンショットだからという理由だけではありません。
赤ん坊は「希望」の象徴であり、セオ(人類)が生きるための「希望」そのものであり、その赤ん坊を守り抜く感動的なシーンだからです。
そしてラスト。人類の救いの象徴のキーとその赤子を守り通してヒューマン・プロジェクトへ送り届けるそのときに、セオがどうなったのか。
それはイエス・キリストの最後を彷彿とさせるものとなっています。
これはもちろん「アイ・アム・レジェンド」の主人公ロバートの最後と同じです。
■ ほんとうはクリスマスに観るべき映画
ぜひこの映画「トゥモロー・ワールド(The Children of Men)」をクリスマスに観てみましょう。
付き合って間もない彼氏・彼女とのはじめてのクリスマスに観るのはあまりおすすめしませんが、クリスマスのほんとうの意味に思いをはせて、深くじっくりと感動したいなら、ぜひご覧になってみてください。
レンタルショップでもオンラインレンタルでも、おそらくクリスマス時期に「トゥモロー・ワールド」が全部レンタル中なんてことはまずないんじゃないかな、と思いますから。
それから映画のタイトルについて。
「トゥモロー・ワールド」の原題は「The Children of Men」。
人類が待ち焦がれていた子供。人類の希望の光、といった意味でしょうか。
現在公開中の「ブラインドネス」は全人類が失明するなかで、ひとりの女性だけが目がみえるという設定の物語です。
全人類失明とは人類は暗闇の中にあることを意味します。ただひとり目が見える女性は「光」の象徴です。
400年以上のエジプト暮らしで奴隷となったイスラエルの民たちは、その根底に信仰を持ちながらも希望の光を見出せない暗闇のなかにいました。そこに現れたのがモーセという「光」です。
またモーセはエジプトを出るためにパロの前で「10の災い」を起こします。その第9の災いは「暗闇」です。エジプト全土が完全な暗闇に覆われました。
しかし、エジプトのなかでもイスラエルの民がいるゴシェンの地には
「光」がありました。
夜明け前が一番暗いともいわれます。出エジプトという「光」に至るまでの「10の災い」のうちの第9の災いが暗闇というのは、もうすぐそこまで「光」をせまっていることを教えてくれます。
ほかにもエジプトを脱出したイスラエルの民たちは、逆境のたびにモーセを非難します。
モーセは神と共にありましたが、人間たち、同胞のイスラエルの民たちのなかでひとりであったともいえるでしょう。
皆が暗闇に底にいると感じて絶望の苛立ちと怒りを募らせるときでも、ただひとりモーセだけには信仰によって光がみえていました。たったひとつの「光」があったのです。
18年間赤ん坊が生まれていない時代にも、世界中の人々は希望の光を見い出せないでいました。そこに赤ん坊が誕生。赤ん坊とい「光」がありました。
「トゥモロー・ワールド(The Children of Men)」も「ブラインドネ
ス」も、暗闇のなかの「光」が物語の意味を解き明かす「キー」となっているのです。
キーというのは「トゥモロー・ワールド」の登場キャラクターである黒人女性の名前でもあります。このキーが赤ん坊を産みますから、まさに物語の意味を解き明かす「キー(key):手がかり。重要な人物」なのです。
キーが生んだ赤ん坊は希望の光。それはイエス・キリストの誕生を象徴しています。そしてイエスが地上に遣わされた使命を描いたのが「アイ・アム・レジェンド」です。
「アイ・アム・レジェンド(I AM LEGEND)」とう題名で、もっとも重要なのは「アイ・アム(I AM)」です。
しかし「アイ・アム(I AM)」だけというわけにはさすがにいきません。
文が完結していないという文法的な意味ではありません。
「レジェンド(LEGEND)」をつけて、多少配慮したというか、そうせずにはいられなかったのでしょう。
なぜなら「アイ・アム(I AM)」は聖書の神の名そのものだからです。
イスラエルの民をエジプトから救い出すようにとのお告げがモーセになされたとき、神は自らを「わたしは、有って有る者」(出エジプト記第3章14節)と言われました。
「わたしは有る」とは英語で「I AM」となります。私はあったという過去形ではなく「わたしは有る」という現在形です。
この現在形をイエスは律法学者やパリサイ派の人々(当時、偉い宗教指導者たちとされていたひとたちのこと)との論争で使われています。(三位一体については説明を省略)
「よくよくあながたがに言っておく。アブラハムの生まれる前からわたしは、いるのである」(ヨハネによる福音書第8章58節)
これをきいたパリサイ派の人々は怒って石をとってイエスに投げつけようとしました。
それまで激しい論争をしていた者たちが、その言葉に反応してすぐさま石をとって投げつけようとすのですから、ものすごく怒ったことがわかります。
なぜならイエスが「わたしは、いるのである」と現在形で自分の名を言ったことを、彼らはそれが神への最大の冒涜だと受け止めたからです。
彼らはイエスを神の子=救世主だと認めておらず、揚げ足をってやろうと常々狙っていたからです。
「わたしは、いるのである」も英語でいうと「I AM」ですね。
だから「アイ・アム・レジェンド(I AM LEGEND)」という題名は「アイ・アム(I AM)」まで耳にした時点で、それが誰をさすかは明白なのです。
さらに「レジェンド(LEGEND)」が続けば、伝説になったほど有名な人であるということで、これはもうだれの目にも明らかとなるのです。
来日したロバート役のウィル・スミスが「アイ・アム・レジェンド」の記者会見で作品の結末を漏らしてしまったとの報道がありましたね。
題名をみれば、物語のおおまかな結末は明白です。だからふつうなら映画の結末は秘密にしておくものですが「アイ・アム・レジェンド(I AM LEGEND)」に関しては隠す必要も隠しようもないということで、普通に結末についてしゃべったといったことなのでしょう。
ところが日本では、結末をバラす大物主演俳優にビックリして、スタッフが会場にいた人々に対して結末を明かさないよう依頼することになったそうです。
これも宣伝の一種なのかもしれませんが、こういうことが話題になるだけでも、日本人の多くは映画に込められた意味を吟味する楽しみを逃してしまっていることがうかがえますね。
ちなみに英語で「THE ONE」は神をあらわします。イスラエルの民の神は唯一神です。「THE」を付けるのは、それがただひとつの存在であることをわらわすためです。「THE ONE WHO IS」といえば、わかりやすいですね。
ジェット・リー主演で「THE ONE」というアクション映画があります。
こちらは神の領域に足を踏み入れようとした男という意味が込められているのでしょうが、この作品はクリスマスに観るような作品ではありません。
そんなこんなで、クリスマスに自宅で映画を観るなら「トゥモロー・ワールド(The Children of Men)」をおススメしておきます。
☆よいクリスマスを☆
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