2008年12月16日

クリスマスのほんとうの意味

<あなたは他に見たことがあるだろうか?
冒頭に人名が次々につづく系図が載っている物語の本を――。>


■ クリスマスとは?

キリスト教徒でなくてもクリスマスがイエス・キリストの誕生を祝うものだということは知っています。

そこで今回はクリスマス特集として、知っているようで知らないイエス・キリストの誕生の意味についてお話しましょう。

まず、イエスの誕生がどれほど重要なことなのかを意識する必要があります。


■ いきなり系図

新約聖書を開いてみましょう。

新約聖書のはじめの書は「マタイによる福音書」です。

その第1章1節にはこう記されています。

「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。」
(マライによる福音書第1章1節)


2節からはアブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへ移されるまで14代、バビロンへ移されてからキリストまで14代の系図が記されています。

あなたは他に見たことがあるでしょうか。

冒頭に人名が次から次につづく系図が載っている物語の本を――。

新約聖書でもっとも重要な出来事であるイエス・キリストの誕生の物語を読もうと思ったら、冒頭からいきなりカタカナの名前の羅列がつづく。

うぁ! 聖書っていうものはやっぱり難解そうだなぁ。と思ってしまうかもしれません。

でも実はこの系図はものすごく大事なのです。

新約聖書だけでなく、旧約聖書をもふくめた「聖書」がイエス・キリストの誕生をいかに重要なこととして記しているかを示す、そのわかりやすい例が新約聖書のマタイによる福音書の冒頭の系図なのです。

ものすごく大雑把にわかりやすくいうと、神と契約したアブラハム、イサク、ヤコブの子孫がやがてダビデにつながり、ダビデからやがてヨセフにつながっていることを示しているのです。

ヨセフはマリヤの夫。そのマリヤからイエスが生まれます。

つまり、旧約聖書からの神との契約のひとつが、いまここから確かに始まりますよ、成就しますよ、ということを声高らかに宣言しているのです。


■ 家に帰れるような道をつくる

では旧約聖書でアブラハムが締結した神との契約のひとつとは何なのか。

それは、神とアブラハム(とその子孫)が共に、叩き出された子供たちが家に帰れるような道をつくること。

「家」とは神の御許。叩き出された子供たちとは、神の御許を離れて行ってしまった人間たち。

離れていった子供たち(人間たち)が家(神の御許)に帰れるような道を作るというのです。

道を作るというのは、人類の救済を意味します。

「道を作る=人類の救済」に用いられるのはアブラハムの子孫であり、具体的には「神と人間との間のとりなしをするようになる」というのです。

神と人間との間のとりなしをするというのは「祭司の努め」のことです。

祭司の努めはヤコブの息子たちからはじまるイスラエルの12部族のなかのレビ族が担うようになるのですが、イエスはレビ族の系統ではなく、ユダの系統から誕生します。

このあたりの詳細は省きますが、大事なポイントは、神とアブラハム
(とその子孫)が共に、叩き出された子供たちが家に帰れるような道をつくるというその契約が、イエスの誕生と十字架の死と復活によって成就するという点です。

「叩き出された子供たち=人間=人類」が「家=神の御許」に帰れる道はイエスによってなされる。

だから新約聖書のはじまりに、アブラハムの子孫にイエス・キリストが誕生することが書かれているのです。


■ 伝説の人物

さて映画「アイ・アム・レジェンド」を思い出してみましょう。

「アイ・アム・レジェンド(I AM LEGEND)」とは、私は伝説、私は伝
説になったほどの著名な人物だ。といった意味です。

伝説といえるほど、多くの人に知られていた著名な人物とは誰なのか。

その人物が誕生することははるか昔から知られていました。なぜなら、その人物は神と人間との間をとりなしてくださる、人類救済の希望だからです。

「アイ・アム・レジェンド」の主人公のロバート・ネビルはウィルスが蔓延してすでに正気の人間が存在しないNYに留まり続けます。

NYにいるのは、ウィルスに感染して凶暴性が著しく増したダーク・シーカーズばかりです。

そんな危険なNYからは一刻の早く離れたいと願うのが普通でしょう。

しかし、ロバート・ネビルは悪に染まった象徴のダーク・シーカーズを元の人間に戻す特効薬を作ることが自分の使命だと信じてNYで研究をつづけます。

なぜそこまで特効薬のウィルスワクチンにこだわるのでしょうか。

なぜなら、悪に染まった救済を待つしかないダークシーカーズを清めるのは自分しかいないと感じているからです。

自分がダークシーカーズの罪を贖わなかれば、人類は救われないと感じているからです。

エデンの園でアダムとイヴが善悪を知る木の実をとって食べたそのときから、人類は労働と産みの苦しみから逃れることができない罪深い人間となりました。

罪深い人間、叩き出された人間たちが再び家(神の御許)に帰れるような道をつくる(人類の救済)ため、父なる神は子なるイエスを地上に遣わされたのです。(三位一体については省略します)

ロバート・ネビルはワクチンが蔓延するNYで自分だけが感染しない理由を、自分をイエス・キリストになぞらえて、人類を救済する使命があると確信するようになった。

だからNYを離れないのです。

クリスマスに関連した映画は多々ありますが、クリスマスの意味を内含した映画を観たいなら「アイ・アム・レジェンド」をオススメしておきましょう。

そのほか以下の2作品も、一見するとキリスト教とは関係がないようでありながら、その実たいへんイエス・キリストとの関連が深いものとなっています。

http://movies-bible.seesaa.net/article/102685236.html

http://movies-bible.seesaa.net/article/102684274.html

お子さんと一緒に観るならコチラがオススメです。
http://plain-story.cocolog-nifty.com/ps/2004/12/the_polar_expre.html


■ クリスマスは日本人と深い関係がある

クリスマスはアブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの誕生を祝うことが根底にありますが、それが東洋の島国日本に住む日本人とどのような関係があるのでしょう。

キリスト教徒ではない日本人は、クリスマスはデパートで行われているイベントや、若い男女が夜景の見えるレストランで食事したりホテルの部屋でいちゃついたりするきっかけに過ぎないと捉えているかもしれません。

しかし、人類が救済される道はイエス・キリストを通すことによって、「だれにでも」開かれたものになったのです。

聖書のユダヤ人からしてみれば、ユダヤ人以外の民族や国民は異邦人です。

ユダヤ人は、自分たちは神に選ばれた特別な民だという意識を強く持っています。

それはアブラハムと神との契約にはっきり示されているからだ、というのがユダヤ人の主張です。

これをものすごく大雑把にいうと「選民意識」となります。

選民意識にはプラスの面もマイナスの面もあるのですが、ここではユダヤ人は自らを神によって選ばれた特別な民だと確信していることを知っておいてください。

アブラハム、イサク、ヤコブの時代。いわゆる「族長たちの時代」には、花嫁たちは同族の親類の中から選ばれました。

現代日本の一般的観念からいうと、近親間での婚姻はタブーだと捉えられますが、族長たちの時代のヘブル人たちにとって、よその民の妻を迎えることはよくないこととされていたのです。

神から与えられると約束された地(カナン)に着いたアブラハム(アブラム)の妻サラ(サライ)も、アブラハムの息子イサクの妻リベカも、イサクの息子ヤコブの妻ラケルも同じへブル人で親族・親戚です。

ちなみにイサクの妻になるリベカは、井戸でアブラハムの使者に出会い、新たな人生――イサクの妻になる(アブラハム、ダビデ、イエスへつながるの家系に名を連ねる)――を歩み始めます。

またイサクの息子ヤコブも、井戸のそばでラケルに出会います。井戸での出会いによってラケルは新たな人生――ヤコブの妻になる(アブラハム、ダビデ、イエスへつながるの家系に名を連ねる)――を歩み始めます。

そしてヤコブの息子ヨセフも、兄弟たちの憎しみをかって空井戸に放り込まれます。そしてたまたまそばを通りかかったイシュマエル人の商隊に銀20枚で売り渡されます。

こうしてヨセフはエジプトへ連れていかれるのですが、これはヨセフの新たな人生――エジプトの宰相になって大飢饉のときに同族をエジに招き、より大きな民とする――を歩み始めることになるのです。

つまり「井戸」は新たな人生のはじまりであり、その歩みによってイスラエルの民を助け、神とアブラハムの契約を成就する大きな働きにをするようになる、そのきっかけとして度々聖書に登場するのです。

「バットマンビギンズ」で主人公のブルースは幼い頃に古い空井戸に落ちます。水がなかったために全身を打ちつけ、そこに巣くっていたコウモリの大群に遭遇して恐怖で気を失います。

空井戸に落ちたブルースはその後、コウモリのマークを用いてバットマンとして活躍します。

ブルースもまた井戸での経験を通して、バットマンという新たな人生を歩み始め、ソドムとゴモラを絵に描いたようなゴッサムシティから、わずかばかりに残った善なる人間を救い出そうとするのです。

このあたりは天使がソドムの町のロトを救出したエピソードをなぞらえていますね。

話がそれましたが、族長の時代からずっと旧約聖書の時代は、ユダヤ人にとっては自分たち以外は異邦人でした。

神に選ばれた特別なイスラエルの民から出た祭司でなければ、神へとりなしをすることはできませんでした。

しかし新約聖書でイエス・キリストが人類の身代わりとして死と復活をとげたことにより、だれでも悔い改める者はイエスのとりなしによって罪が赦されることになったのです。

その具体的な表れはサウロ(パウロ)の異邦人伝道によって幕を開けますが、ここで抑えておいてほしいポイントは、いわゆる異邦人にも救いの道が開かれていることをあらためてはっきりと示したのがイエスの誕生と死と復活だということです。

そもそも聖書は異邦人も救われることを示しています。

「マタイによる福音書」の冒頭の系図にはルツとう女性の名があります。ルツはモアブ人であり異邦人とされます。

アブラハムからイエスに連なる系図には異邦人も含まれていることから、聖書ではユダヤ人以外にも救いの道があることをしっかりと示しているのです。

このようなこともふまえて、イエスの誕生と死と復活は、異邦人とされる人々にも救いの道をあらためてはっきりと示されたという意味で、すべての人々にとってたいへん大きな意味があるのです。

だから、イエスの誕生を祝うクリスマスは日本人とも深い関係があるのですね。

ここまでの話は日本人を異邦人として捉えた場合の話ですが、一説には日本人はユダヤの末裔だとするものがあることも付け加えていきましょう。

いわゆる「日ユ同祖論」といわれるものがそれでs。

イスラエル民族はソロモン王の死後に南北に分裂したうち、北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされます。このとき北王国の10部族は虜囚としてアッシリアに連行されましたが、その後の行方について記されていないため、「失われた10部族」といわれています。

この10部族の一部が、日本へやってきたというのです。

もしこれがそのとおりだとすると、日本人はユダヤ民族と同じだということになり、より一層クリスマスと関係が深いということになるでしょう。

なんにせよクリスマス、つまりイエスの誕生は聖書によれば「人類が救われる道を示す希望に満ちあふれたもの」だということを心にとめておきましょう。
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