2008年12月09日

「七瀬ふたたび」〜「HEROES」で浮かび上がるキリスト教の背景〜

「七瀬ふたたび」

日本/NHKドラマ8
原作:筒井康隆『七瀬ふたたび』

毎週木曜NHK総合よる8時・BShiよる6時放送

ストーリー(概要)
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福祉施設で働く火田七瀬は、母親の死をきっかけにテレパス能力にめざめる。
死んだと思われていた父親が生きているかもしれないと知った七瀬は、自分が幼い頃にすでに特殊な能力があったことを思い出す。
テレパス能力に戸惑いつつも父親のことを調べはじめた七瀬は、未知能力を持つ者たちと出会う。


主な登場人物の紹介
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▽火田七瀬
人の心が読めるテレパス能力を持つ。

△岩渕恒介
予知能力を持つ。

△広瀬朗
人の心が読めるテレパス能力を持つ。

△ヘンリー
念動能力を持つ。

▽漁藤子
科学者。未知能力研究者。タイムとラベルの能力を持つ。

△高村健一
刑事

▽真弓瑠璃
七瀬の親友。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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「アガペー」と「救い」。もっと驚くべき作品。アメリカンドラマ「HEROES」と比較して浮かび上がるキリスト教の背景とは?

■ 能力を隠そうとする未知能力者たち

七瀬をはじめとする未知能力者たちは、人と違う能力があることを隠そうとする。

ここで映画「ジャンパー」を思い出してみよう。

ジャンパーのデヴィッドは高校生の頃に凍った川に落ちて行方不明になってから7〜10年ほど姿をくらませていた。その間はニューヨークの高級マンションに住んで悠々自適な生活を送っていたのだ。

まさか自分が命を狙われているとはつゆにもおもわなかったデヴィッドでさえ、己のジャンプ能力を隠して生きてきたのだ。

ジャンプ能力に目覚めるまでデヴィッドは高校のクラスでも目立たない、同級生にからかわれる素朴で地味な青年だった。この頃のデヴィッドは同級生の男子生徒たちの多くとはちょっと違っていた。いわゆる「冴えない・イケてない青年」だとみなされていたのである。

そのため、いわゆるいじめっ子みたいな男子生徒にからかわれたり嫌がらせを受けたりしていたのだが、だからといって姿をくらませることなどせず、意中の女の子に好かれようとしっかりとアピールだってしていた。

ところがジャンプの能力に目覚めたデヴィッドは皆の前から姿を消した。

一般的なクラスメイトたちと比べて、クラスで目立たない地味な青年という「違い」は姿をくらませる要因にはならなかった。

しかし一般人と比べて、瞬間移動できるジャンパーという「違い」は姿をくらませる要因になったのだ。

「違い」が微々たるもので自分たちに危険が及ばないものだと思えると、人はその「違い」を見下げて支配しようとする。

だが「違い」が大きくて自分たちに危険が及ぶのではないかと感じると、人はその「違い」をおそれて全力で潰そうとする。

デヴィッドはクラスの中で比較的に弱い立場にあったからこそ、社会の縮図であるクラスでの「違い」に対するクラスメイトたちの反応を機敏に感じ取ることができたのだ。

だからデヴィッドは自分のジャンプ能力をコントロールできたとき、社会が能力を持つ者をどう扱うかを無意識にでも感じることができ、皆の前から姿を消したのだ。

これと同じようなことは私たちの日常のいたるところにみることができる。

学校や地域の交流や職場で「個性を大切に。皆の力を合わせて住みよい町に。個々のスキルを活かして業績を伸ばそう」といったような言葉を目にしたり耳にしたりしたことがあるだろう。

これらは「微々たる(と思える)、支配できる(と思える)違い」の範疇にある場合に限られる、というのが大半だ。

瞬間移動できる。人の心が読める。予知できる。物を意のままに動かすことができる。タイムトラベルができる。
これらの能力による「違い」はとうてい受け入れられないと判断して、手に負えないものは全力で潰そうとする。
それが顕著に現れやすいのは閉鎖的集団や社会だ。

七瀬をはじめとする未知能力者たちは、人と違う能力があることを隠そうとするのはなぜか?

「七瀬ふたたび」は35年ほどまえに書かれた作品だ。35年前にすでに現在の社会を予見していたかのようなこの作品は「予知作品」といえるのではないだろうか。


■ タラントと聖書

人と違う能力を持つ。これを天から与えれた「タラント」として受け止めて活かすことを聖書はすすめている。

「タラント」の種類も大きさも人によってさまざまだが、各々がそれぞれのタレントに応じてそれを活かすように、というのが聖書の教えである。

聖書でもっとも有名なもののうちのひとつである「タラント」の話は、多くの映画作品やドラマ作品の題材として用いられている。

「Mr.インクレディブル」
「ファンタスティック・フォー」
「ギフト」
「スーパーマン」
「X-MEN」
「HEROES」


■ 前提としての「違い」

これらの作品が作られたアメリカ合衆国は「人種のるつぼ」ともいわれ、様々な生活習慣や宗教や考え方を持った人々が暮らしている。

レストランでの料理の注文で、肉の焼き方から味付け、にんにく入りか無しか、味付けは濃い目が薄めかなどまで細かく指定するシーンをアメリカ映画で見たことがあるだろう。もちろん、実際に米国のレストランでみたこともあるだろう。

招待された米国人家庭で飲み物の種類をきかれ、コーヒーなら入れる砂糖の数からミルク(フレッシュ)の量まで細かくきかれたことはないだろうか。

こういうとき「なんでもいいです」と答えるのは、よくないという。

なぜなら相手はあなたという人間を他とは違う唯一の存在として、自分の考えと信念を持った人物として認めていますよ、という意思表示のためにそういった細かい嗜好を聞いているのだからという。

つまり、みんな「違う」というのが前提としてあるから、お互いの違いを尊重して理解に努めようとする態度の表明と実践が「細かい注文をきく」ということに表れているのだととらえることもできるのだ。

そんな国でも、さすがに瞬間移動できる能力という「違い」は放っておけないようだが、前提として「違い」があることからはじめるというのは、そろそろ日本でももう少し意識されてもいいだろう。

そういうことを考えると「七瀬ふたたび」が過去に幾度もドラマ化されている理由に検討がつく。

35年まえから現在まで、その内容とメッセージが少しも色あせないのはどういうことか?

35年前に書かれた「七瀬ふたたび」がさまざまな時代で何度もテレビドラマ化され、現在のドラマ化でもまったく遜色ないどころか、現代社会を映し出す見事な鏡にあっていることにもっと驚くべきである。


■ 七瀬は未知能力者のなかでも特別

テレパスの七瀬は、未知能力者たちのなかでも特別である。

それは七瀬が他の能力者たちの力を飛躍的に高めることができることによる、という理由だけではない。

彼女はただのテレパスではないからだ。

七瀬は「アクティブテレパス」なのだ。

人の心が読めるということは、人の心の中を出入りできることを意味する。人の心の中に入ってその声に耳を傾けるだけでなく、人の心の中に語りかけることができるのだ。

心の中で語りかけられた言葉。人はそれを自分の「心の声」だと認識する。自分がこうしたい、ああしたいという願望だと思い込むのだ。

だから人の心に語りかけ、人を意のままに操ることができるのであり、それがアクティブテレパスなのである。

アメリカンドラマ「HEROES」の能力者の中にもテレパスが登場する。ロサンゼルス市警(LAPD)の制服警官のマットだ。

彼はやがてアクティブテレパスへと成長する。「HEROES」におけるアクティブテレパスの能力は、相手の心の奥底に入り込んで潜在意識を支配し、幻覚をみせることができるというものだ。

「HEROES」においてもアクティブテレパスともなれば物語のなかで重要な働きを担う役どころだ。しかし「HEROES」のアクティブテレパスはマットという名の男性である

では「HEROES」で重要な働きを担う特別なキャラクターとされるんは誰なのか。

「HEROES」に登場する超能力者たちのなかでも「特別」だといわれているのは、クレアという女性である。

実はここが注目していただきたポイントなのだ。

その前に「七瀬ふたたび」における七瀬が特別であることの意味を、未知能力仲間のヘンリーとの関係で読み解いてみよう。


■ アガペー

ヘンリーはマジックバーで働く青年だ。将来の目標を見出せず、成り行き同然でマジックバーの皿洗いやバーテンダーといった仕事をしている。

七瀬に出会うことで念動能力に目覚めるが、当初は七瀬が一緒にいるときしか念動能力を使うことできなかった。

七瀬に片思いのヘンリー。だが七瀬が好意を持っているのは自分ではなく岩渕恒介だということはわかっている。それでも能力を持ったことをマイナスとは受け止めず、むしろ七瀬を助けるために自分の能力を活かせることに人生の意味と喜びを見出す、そんな青年だ。

未知能力者のなかでも「特別」な存在の七瀬は女性。

女性である七瀬に想いを寄せ、その「愛」が報われないとわかっていても七瀬のために喜んで自分の能力を使おうとする。

これは見返りを求めない愛、つまり「アガペー(無限の愛・無償の愛)」である。

もともとアガペーは神の人間に対する「愛」をあらわす。神が人間をアガペーの愛で愛するように、人間同士もアガペーの愛で愛し合うようにというのが聖書の教えである。

神の愛。アガペーの愛を実践するキャラクターとしてのヘンリーは、人々が各々の「違い」を受け入れるよう努め、その違い=能力を用いてお互いにアガペーの愛で愛し合うようにというメッセージを象徴しているのだ。

人生の指標を見出せないでいる青年ヘンリーは、聖書でいうところの「迷える子羊」である。いなくなった子羊一匹を「羊飼い=神」は探し出してくださる(ルカによる福音書15章4節〜7節)ことを思えば、ヘンリーは七瀬に出会ったことで人生の指標を見出し、生きる糧をみつけ、輝かしい人生を歩みだすのだ。

このように「七瀬ふたたび」では七瀬が特別な存在として人々が変化するきっかけを与え、その変化はヘンリーというキャラクターに集約される。いうまでもなくヘンリーとは私たちのことである。


■ 「HEROES」のクレアが象徴するのは

さて「HEROES」に登場する能力者たちのなかでも「特別」だといわれているのがクレアだという話をした。クレアの能力は「再生」。

10メートル以上の高さから落ちても、首に木の枝が深く突き刺さっても、弾丸を撃ち込まれても、しばらくすると生き返るのだ。

数々の能力者の中でも特別で「キー(鍵)」となる人物とされるクレアは「再生」と「甦り」の能力を持つ。つまり「復活」するのである。

聖書で復活といえば、イエス・キリストである。

「HEROES season1」の重要な言葉に「チアリーダーを救え(救い)、世界を救え」というのがある。

チアリーダーとはクレアのことであり、世界を救おうとする能力者たちはチアリーダー(クレア)を探し出し、彼女を救うことがすなわち世界を救うことにつながる、というのである。

そもそも再生能力を持つクレアは不死身である。「復活」するのだから救いを必要としていないかのように思うかもしれない。

だがそうではない。

チアリーダー(クレア)=神を求めて探すことがすなわち、自身の救いとなる。自身の救いは自身の身近な人たちや隣人を救うことにもつながり、それはやがて世界を救うことになる。

だから再生能力を持つ「復活」の象徴のチアリーダーを救え(救い)、世界を救え」というのが物語の重要なキーワードとなっているのだ。

そして「ダ・ヴィンチ・コード」でも「ナルニア国物語」でもその根底には「女性」の重要性が描きこまれていることからもわかるとおり「HEROES」でも女性のクレアがたいへん重要な中心的キャラクターとして登場するのだ。

「七瀬ふたたび」においても、未知能力者の中でも特別だとされる七瀬を助ける(救う)ために自分の能力を使うことで自身を救うことになったヘンリーをみれば、七瀬が誰を象徴しているかは明白だ。

タラントを授けられたキャラクター。

アガペーの愛を広めるキャラクター。

復活を象徴するキャラクター。

これらのキャラクターを見てわかるとおり、超能力を題材とした作品の多くにはキリスト教の背景とメッセージが込められている。

35年前に書かれた「七瀬ふたたび」が、なぜ幾度もテレビドラマ化されているのか。しかも、現代のドラマとしてみても、なんら遜色ないどころか、むしろ現代社会を映し出す鏡としてますます輝きを増すのは、その根底に「アガペーの愛」が貫かれているからである。


■ その他

七瀬は親友の瑠璃に自分がテレパスだと打ち明けます。すると、それまで親身になって心配してくれていた親友の瑠璃は七瀬をバケモノ呼ばわりしておそれるようになります。

瑠璃は七瀬にずぅっと心の中を覗き見されていたことをこわく感じたからこのような態度をとったのでしょう。

こういったエピソードは七瀬たち未知能力者が社会から受け入れらない存在だということを強調しているのですが、ちょっと考え方とやり方を変えれば大金を稼いで社会的地位を手に入れることもできるのです。

たとえば占い師。

人は心の中を覗かれたと思えばこわいと感じますが、あの人だけはわたしの心の内を理解してくれると思えば心をますます開いて安心感を抱きます。

人の心を読み、相手の気持ちを理解しているふりをして、相手が望む未来を読み取り、その実現に向けて具体的な方法(ラッキーカラーは緑、ラッキーアイテムはウサギの携帯ストラップ等)を教示すれば、お客さんは大喜びするでしょう。

そうして名を売ってテレビに出演して有名になれば、芸能界の大物から各界の大物たちがこぞって占ってもらいに集まり、大物占い師として大金を得たり、社会的地位を得たりできるでしょう。

あまりに有名になりすぎた占い師が人から妬まれ、おそれられるようになると、それこそ「あまりの大きな能力という違い」を脅威に感じた人々による「潰し」がはじまります。

「ジャンパー」のデヴィッドは、ほぼ無意識にジャンプ能力のことを隠してきましたが、それは能力を使って銀行から大金をせしめたからというのが大きな理由でしょう。

しかし七瀬たち未知能力者は、ひたすらに能力のことを隠そうとします。

日本には「出る杭は打たれる」という諺(ことわざ)があることを思い起こしてテレビドラマ「七瀬ふたたび」を観れば、日本社会の「違い」に対する人々の意識は旧態依然だといえるかもしれませんね。

4101171076七瀬ふたたび (新潮文庫)
筒井 康隆
新潮社 1978-12

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