ナルニア国物語のキリスト教文化の背景をこれほどわかりやすく丁寧に解説したものは他にはまずありません。
なるほど! と少しでも思われた人は、ぜひ友人知人へナルニア国物語の魅力をお伝えしたり、私が発行している映画メールマガジンを紹介したりするなどしていただければと思います。(このサイトのサイドバーに映画メルマガの読者無料登録フォームがあります)
ではさっそくはじめましょう!
日本で生まれ育った人にとって、欧米の文化のなかでは特にキリスト教文化については馴染みが薄いでしょう。
クリスチャン家庭で育ったわけでもなく、ミッション系の学校え学んだわけでもない、ごく普通に日本で生まれ育った人にとっては、欧米の映画に込められた聖書のモチーフやメッセージを読み取ることはなかなか大変です。
そこで今回は、映画に込められたキリスト教文化や聖書物語を映画「ナルニア国物語 第1章 ライオンと魔女」を例にご紹介します。
これを読めば、あのシーンにはそんな意味があったのか! という他にも、なんとなく観ていただけだったけどあの登場人物の行動にはなるほどそういう経緯があったのか! ということがわかることでしょう。
では、さっそくはじめましょう。
【「ナルニア国物語」に秘められたキリスト教文化を大解説〜これを知れば7倍楽しめる〜】
「ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女」
監督:アンドリュー・アダムソン アメリカ/200年/140分
原作:C.S.ルイス「ナルニア国ものがたり」
■ 原作者は神学者
ナルニア国物語の著者C.S.ルイスは神学者です。著書に『キリスト教の真髄』や『悪魔の手紙』があります。
ルイスは第1次世界大戦に兵士として参加しました。多くの友人を戦争で亡くし、自身も塹壕で負傷しました。
その後、英国のオックスフォード大学で教えます。そして第2次世界大戦でロンドンから疎開してきた子供たちを家に迎え入れて世話をします。
「ナルニア国物語」はこのときの子供たちに喜んでもらおうと書かれた物語なのです。
ペベンシー兄妹たちも空爆が激しくなった都会から田舎の屋敷に疎開します。屋敷の主は教授で、そこを取り仕切るのは気難しそうな女性です。
そしてペベンシー兄妹たちは屋敷のとある部屋の「衣装だんす」からナルニア国へと足を踏み入れるのです。
■ アスラン(ライオン)は誰を表している?
さて、原作者のルイスは「ナルニア国物語」に登場するアスラン(ライオン)を使って、ある人物を表しています。
その人物とはキリスト教において最も有名な人物です。
それはつまり、ライオン姿のアスランは、イエス・キリストを表しているのです。
■ アスランが裏切りの人間の身代わりになる
ペベンシー家の4兄妹の次男・エドマンドが裏切りによって白い魔女の手に落ちそうなところを救うのがアスランです。
「裏切りのエドマンド=人間」の身代わりになって一度死ぬアスランは、まさにイエス・キリストの生涯そのままなのです。
「エデンの園」で蛇にそそのかされて「善悪を知る木の実」を取って食べたイヴ。その実を持ってイブはアダムにも食べさせました。
これによって罪人となった人間の身代わりとなる救世主がやがて現れることが聖書には予言されています。
その予言はナルニアでいうところの「二人のアダムの息子と二人のイブの娘が、ケア・パラベル城の4つの王座を満たすとき白い魔女の支配は終わる……」にあてはまります。
しかし人間の身代わりになる救世主とは実は、ライオンの姿をしたアスランなのです。
■ 身代わりになる前の晩〜ゲッセマネの園での苦しみと悩み〜
次男エドモントの救出に成功したのも束の間、アスランの陣地に白い魔女が現れ、裏切りのエドモンドを引き渡すようアスランに要求します。
このときアスランは白い魔女とふたりだけで話して、裏切りのエドモンドを救います。
その夜のことです。アスランが自軍からそっと離れて、暗闇の森をひとりで歩いていきます。
それに気づいたスーザンとルーシーはアスランの後を追います。
ふたりが付いてきたことに途中で気づいたアスランは、彼女らに「しばらく一緒に歩こう。ありがとう」といった意味のことを言います。
いったいアスランはどこに行くのでしょうか。
暗闇の森をスーザンとルーシーと共に無言で歩くことにわざわざ「ありがとう」と礼を言うアスラン。
そしてある場所までくるとアスランは「ここからは私ひとりでいかなれければならない」という意味のことを言ってスーザンとルーシーと別れてひとりで歩いていきます。
暗闇の森をアスランとスーザンとルーシーが共に歩くだけのこのシーンは、はたしての必要なのかな、と思う方もいらっしゃるかもしれません。
たしかに何が起こるわけでもなく、ただどこかの目的地へ向かう途中の暗闇の森を歩くだけなのです。
しかし、このシーンで涙が溢れてしかたながない観客が大勢いるのです。
では、ただ暗闇の森を共に歩くだけでなぜ涙が止まらないのでしょうか。
なぜならこのシーンは、イエスが十字架にかかる前の晩のゲッセマネの園での出来事を示しているからです。
イエスはその晩、ゲッセマネと呼ばれる園で弟子たちから少し離れて祈っていました。
イエスは人間の罪の身代わりになって自分が十字架に架からなくてはならないことはわかっていましたが、弟子たちの支えをこのときこそ必要としているときはなかったかもしれません。
しかしペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子はイエスが苦しみと悩みの中におられることを知っていましたが、疲れていたので眠ってしまいました。
先にご紹介したとおり、原作者C.S.ルイスはキリスト教の本も執筆している神学者です。
彼はもちろんゲッセマネの園でイエスが苦しみと悩みの中におられて一番支えが必要だったときに弟子たちが眠ってしまったことを知っています。
自分を弟子に重ね合わせつつ、いたたまれない思いでいたことでしょう。
そこで「ナルニア国物語」ではスーザンとナンシーがアスランと共に歩くというシーンを書くことで、イエスの苦しみを少しでも取り除く助けになりたい。
――そんな願いがこもったシーンだと観てとれるのです。
だからこそアスランは二人に「ありがとう」と言ったのです。
■ 長男ピーターは、イエスの12弟子のリーダー・ペトロ(ペテロ)
ピーターは、新約聖書に登場するイエスの12弟子のひとり、ペトロ(ペテロ)に由来する英語圏の人名です。
ペテロはイエスの12弟子のリーダー格で、本名はシモン。
兄弟と一緒にガリラヤ湖で漁をしているとことをイエスに声をかけられ、一切を捨てて弟子となった人です。
さて、イエスの十字架よりずっと後のこと。使徒ペトロが迫害が激しくなったローマから避難しようとアッピア街道を歩いていたときのことです。
ふとみると反対側からイエスが歩いてくるではありませんか。
「主よ、どこへいかれるのですか?」と訊くとイエスは「もう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えました。
ペテロはそれを聞いてローマへ戻ったといいます。
ナルニア国物語でも、ペベンジー家の長男ピーターがこれと似たような状況に直面したます。
ピーターは冒険心と指導力というタラント(授かった能力)を持っていますが、そうはいっても軍を率いるなんてことは初めてです。
それでもピーターは白い魔女の軍団と戦うために軍を統率する立場におかれます。
アスラン陣地(ピーターが率いる軍)では軍勢が戦の準備を整えて、いつでも出陣できる体勢になっています。
しかしアスランの姿が見当たりません。アスランが身代わりに白い魔女のもとへ行たことをピーターは知らないのです。
ピーターは戦いが迫っているなかでどうすべきか決められないでいます。
そこへ知らせが着ます。アスランが亡くなり、白い魔女の軍勢が迫っているというのです。
ピーターは、使徒ペテロが迫害の激しいローマへ再び戻る固い決心をしたかのように、アスラン軍に出陣の号令を出すのです。
■ ピーター(ペテロ)の弱さはフォーンにも投影されている
4兄妹のなかではじめにナルニアにやってきたのは少女ルーシーです。
すぐにフォーンのタムナスに会ったルーシーは、家に招かれて暖をとらせてもらいます。
ところがそれはフォーンが仕掛けた罠だったのです。
――森で人間をみつけたら白い魔女に知らせること。
そんな御触れが出回っていたのです。
白い魔女が支配する100年の冬が続くナルニアで、ひとりのフォーンにすぎないタムナスはその弱さのために白い魔女のいいつけに逆らうことができませんでした。
しかしタムナスは自分がしたことを後悔します。そして白い魔女に知らせが届かないうちにルーシーを助けようと改心して、彼女を無事にもとの世界へ送り届けます。
タムナスの弱い心はペテロにも共通します(人間全体にも)。
新約聖書にこんなエピソードがあります。
弟子ユダの裏切りによってゲッセマネの園で捕らわれたイエスが心配でたまらないペテロは、捕らわれているところ(大祭司カヤパの家)まで行き、中庭の真ん中にたかれた火にあたる人々のなかに紛れ込んで座りました。
するとある女中が、この人もイエスと一緒にいた、と言うのです。
ペテロはそれを打ち消して、わたしはその人を知らない、と言います。
その後、同じようなことがもう2回あり、3回目も知らないとペテロが言い終わらないうちに鶏が鳴きました。
実は、事前にペテロはイエスにこう言われていたのです。
「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」――と。
ペテロはこの言葉を思い出して、外へ出て激しく泣きました。
タムナスはルーシーのことを白い魔女に知らせたことを激しく後悔します。急いでふたりが出会った場所までルーシーを連れて戻ったタムナスは、涙を流して弱い自分を赦してくれといった意味のことをいいます。
これにたいしてルーシーは、自分のハンカチーフでタムナスの涙を拭いてあげるのでした。
これはたとえ自分のことを知らないと言った者であっても受け入れてくださる慈悲深い神の愛を表しているのです。
■ ナルニアへ入るには、幼な子のようでなければならない。
新約聖書には「幼な子」という言葉が登場します。
マルコによる福音書10章13節には「神の国は、このような者(幼な子)の国である」とあります。
また「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」(15節)ともあります。
さて、衣装箪笥からナルニアに初めて足を踏み入れるのは末っ子の少女ルーシーです。
兄妹のなかでももっとも幼いルーシーがはじめにナルニアへ足を踏み入れたこと。
そしてルーシーが兄妹たちにナルニアの存在を訴えかけたことは、神の国(ナルニア)に入るにはどうすればいいかのヒントを私たちに与えてくれているのです。
■ エドマンド〜善悪を知る木・エサウとヤコブ・ユダ・使途パウロ〜
次男エドマンドには、聖書の登場人物の様々な要素を垣間見ることができます。
ナルニアに初めてやってきたエドマンドが白い魔女に会ったときのことです。
エイドモンドは白い魔女から、あなたは兄よりも偉大な王になる、といった意味のことを言われてお菓子を貰います。
このシーンは旧約聖書でいえば、エデンの園で蛇(サタン=白い魔女)にそそのかされて善悪を知る木の実を食べたイヴとアダムの物語があてはまります。
また、兄よりも偉大な王に、というところは「長子の特権」をめぐる兄エソウとヤコブの物語(創世記25章)にあてはまります。
これは弟のヤコブが長子の特権をほしさに、お腹を空かした兄エソウからスープと引換えに長子の特権を手に入れたという話です。
ヤコブは「長子の特権」――家督と祝福――を得るために兄エソウを出し抜き、これがもとで逃亡生活をします。
罪深い自分の赦しを請い、そのまま荒野で石を枕に眠ってしまったときに夢をみます。それは地から天の頂きに達した梯子が立っていて、神の使いたちがそれを上り下りしているというものでした。
ちなみにこのシーンは映画作品「炎のメモリアル(Ladder 49)」のモチーフになっているそうです。
「Ladder 49」とは「第49号梯子車」という意味でしょうが、そこには聖書のキーワードも含まれています。それがヤコブの梯子(Ladder)であり、49は創世記の49章にヒントがある! ということらしいのです。
さて、エドマンドに話を戻しましょう。
エドマンドは新約聖書では、イエスを裏切った弟子のユダに重ねられます。
また鶏が鳴く前に3回知らないと言ったペテロが後に偉大な伝道者となっったあたりをも彷彿とさせます。(エドモンドが白い魔女への恐怖(ローマで激化する迫害)に打ち勝って兄を守ろうとしたあたりです)。
■ ゴルゴダの丘・イエスの復活
ほかにも石舞台(ゴルゴダの丘) へ向かうアスランを左右から白い魔女の手下たちが挟んで群れるシーンは、イエスがゴルゴダの丘へ十字架を背負って歩くシーンを思い起こさせます。
また白い魔女の石包丁(ロンギヌスの槍)によって命を落としたアスランの許に駆け寄るスーザンとルーシーが女性なのも、イエスが葬られた場所を見とどけたのが女性であったのと一致しています。
さらに復活したイエスに最初に会ったのはマグダラのマリヤという女性でした。(アスランが復活したときにはじめに会ったのもスーザンとルーシーです)
■ペベンシー兄妹とタレント
ペベンシー4兄妹にはそれぞれに能力があります。
長男ピーターには冒険心と指導力。
長女のスーザンは実践力。
ルーシーは受容力。
そして次男のエドモンドは自己中心的でちょっと意地悪なところがありますが、大きな可能性を秘めています。
それはまさしく私たち人間の姿そのままではないでしょうか。
この「能力」について聖書にはタラントのたとえ話があります。
「タラントのたとえ話」〜マタイによる福音書25章14節から30節〜〜
ある人が旅に出るとき、3人の僕(しもべ)にそれぞれの能力に応じて5タラント、2タラント、1タラントを預けた。
5タラントと2タラントを渡された者はそれで商売をして倍にした。1タラントを渡された者は地を掘って主人の金を隠しておいた。
僕(しもべ)の主人が帰ってきた。5タラントと2タラントを渡されていた者はそれぞれ倍に増やしたことで主人に「良い忠実な僕よ」と、多くのものを管理するよう言われた。
1タラントを渡されていた者は地に埋めておいたことで主人に「悪い怠惰な僕よ」と言われた。1タラントは取り上げられ、10タラント持っている者に与えられた。
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自分の能力を活かして家族を友を仲間を助け、力を合わせて困難に立ち向かうというのは物語の基本です。
たとえばピクサーのアニメーション作品「Mr. インクレディブル( THEINCREDIBLES)」には特殊能力を持ったスーパーヒーローたちが登場して大活躍します。
これは「タラント」を使った作品としてはわかりやすい例ですね。
■ キリスト教にみる数字
今回のお話のタイトルは「ナルニア国物語」に秘められたキリスト教文化を大解説」です。
そして副題は「これを知れば7倍楽しめる」となっています。
実はこの数字の「7」にも、キリスト教においては意味があります。
旧約聖書の創世記には、すべてのはじまりが記されています。
「はじめに神は天と地とを創造された」ではじまり、第1日から第6日までの間に天と地と、その万象とが完成しました。
そのすべての作業を終わって休まれたのが第7日目なのです。
そして第7日を祝福して、これを聖別されました。
さて週のはじめは何曜日でしょう。現在の日本のカレンダーには2種類あるかと思います。
ひとつは日曜日が第一日目。
もうひとつは月曜日が第一日目です。
日曜を第一日目とすると、第7日目は土曜日です。
しかしカトリックでは教会に行く聖日となっているのは日曜日です。
これはカトリック教会がイエスの復活の日である日曜日を聖日にしたことによります。
そういうわけで、現在では聖書のとおりに土曜日を聖日としているのは、プロテスタントの一部の宗派とユダヤ教(安息日『シャバット』)となっています。
なにはともあれ「7」という数字はキリスト教と、その元となるユダヤ教にとって、特別な意味を持つ数字なのです。
キリスト教ではほかに「12」と「3」という数字も特別な意味をもっています。
12という数字には「イエスの12弟子」「イスラエル12部族」などがあり、3という数字には「三位一体」「ヨハネ黙示録3天使の使命」などがあります。
いかがでしたか?
「ナルニア国物語」には聖書の物語がいたるところにちりばめられているのがおわかりいただけたかと思います。
ですが、今回ご紹介したのはまだほんの一部に過ぎません。ほかにどんなところに聖書のモチーフがあるのは、皆さんがもう一度作品をご覧になってみつける楽しみにとっておきましょう。
「ナルニア国物語〜第1章ライオンと魔女」は特にキリスト教との関連がとてもわかりやすい作品のひとつですので、他の作品に比べればみつけやすいでしょう。
なぜなら原作者ルイスは子供たちに物語の形式を通して聖書を身近に感じて学んでほしいと思って書いたのが「ナルニア国物語」だからです。
日本においては「ナルニア国物語」は他のファンタジー系の作品、例えば「ロード・オブ・ザ・リング」等のブームに乗せて、特殊メイクやSFX、VFXを前面に押し出してファンタジーワールドを強調した宣伝をされているようです。
おそらく宗教色を匂わせないほうが観客を動員しやすいと考えたからでしょう。
もちろんファンタジー作品としてだけでも楽しめる作品ですが、キリスト教や聖書の基本知識があるとさらに楽しめる作品であることはたしかです。
ちなみに「ナルニア国物語」の原作者と「ロード・オブ・ザ・リング」の原作者は知り合いです。
「ナルニア国物語」に限らず、欧米で制作される映画作品のなかには、聖書の物語をモチーフにしたものが数多くあります。
本誌で紹介したことがある作品だけパッと思いつくものだけでも以下のようなものがあります。
アフリカのロトともいえる男の物語。
「ホテル・ルワンダ(HOTEL RWANDA)」
雷ではじまるサウロの回心。ルターの修道士の誓い。
「宇宙戦争(WAR OF THE WORLDS)」
ノアの箱舟。ヨセフの物語。
「サハラ 死の砂漠を脱出せよ(SAHARA)」
ソドムとゴモラ。ロト。タラントのたとえ。ヤコブの井戸。「バットマン ビギンズ(BATMAN BEGINS)」
ロンギヌスの槍。ヨハネの黙示録。ルシファー。蛇。蝿(虫)。
「コンスタンティン(CONSTANTINE)」
信仰。長血(病気)をわずらっている女。
「ポーラー・エクスプレス(THE POLAR EXPRESS)」
過越し。ノアの箱舟。アダムとイヴ。ソドムとゴモラ。ロトの救出。
「ヴィレッジ(THE VILLAGE)」
「ナルニア国物語」のキリスト教文化の背景を探る航海はまだはじまったばかりです。
今回のお話は航海の地図にすぎません。
ぜひ「ナルニア国物語 第2章 カスピアン王子の角笛」もご覧になって楽しい旅を続けてみてくださいね。
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