「崖の上のポニョ」
原作・脚本・監督:宮崎駿
日本/2008年/101分
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話「人魚姫」をモチーフにしている。
「まんまキリスト教の影響受けまくりのド真ん中直球勝負作」「オトン涙!不良家出娘の嫁入り珍道記」キリスト教色をカラフルにベタ塗りか? 日本の事情(?)を考慮して関係各所に配慮すると共に、観客にはしっかりと「その旨(キリスト教の影響)」を伝えることにした? そのたりの布石の打ち方はさすが「年の功とスタジオジブリ」。ひとつ違えば超ホラー。鳥肌ものの鳥足が生えた、しゃべる肉食人面魚がどこまでも追いかけくるぅ、きっとくるぅ!(>_<)
ストーリー(概要)
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さかなの子ポニョと5歳の少年宗介の出会いと愛の物語。
主な登場人物の紹介
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▽ポニョ(ブリュンヒルデ)
魚。半漁人。
△宗介
男の子。5歳。幼稚園児。
▽リサ
女性。宗介の母親。デイケアサービスセンターで働く。
△耕一
男性。宗介の父親。貨物船「小金井丸」の船長。
△フジモト
男性。ポニョの父親。海の住人。魔法使い。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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「まんまキリスト教の影響受けまくりのド真ん中直球勝負作」「オトン涙!不良家出娘の嫁入り珍道記」キリスト教色をカラフルにベタ塗りか? 日本の事情(?)を考慮して関係各所に配慮すると共に、観客にはしっかりと「その旨(キリスト教の影響)」を伝えることにした? そのたりの布石の打ち方はさすが「年の功とスタジオジブリ」。ひとつ違えば超ホラー。鳥肌ものの鳥足が生えた、しゃべる肉食人面魚がどこまでも追いかけくるぅ、きっとくるぅ!(>_<)
■ キリスト教色を「払拭」?
払拭という言葉があります。
払拭とは、汚れなどをすっかりぬぐい去ること、除き去ってきれいにすること。よくないものをぬぐい去る場合に使われる言葉です。
日本では「ナルニア国物語」を「ロード・オブ・ザ・リング」系として宣伝したり、「ライラの冒険 黄金の羅針盤」をお笑い芸人コンビの藤崎マーケットのラララライ体操にかけて宣伝したりすることからもわかるとおり、たとえその作品が西欧キリスト教文化の背景を抜きに語れない種類の作品であったとしても、宗教色が付きそうなものは極力排除しようとする傾向がみてとれます。
特定の宗教をにおわせることに強い抵抗を感じているであろうテレビ局にヘソを曲げられたら、映画の宣伝もまままならないとなればいたしかたないかもしれません。
とはいえキリスト教は西欧社会・文化に深く関係していることは誰もが知っていることです。それなのにまったくといっていいほどそれを無視するかのような宣伝方法というのは、観客をないがしろにしているといわれてもいたしかたないでしょう。
日本でよくみられるこういった宣伝の仕方は、特定の宗教色が付かないようそれらしきものを「払拭」しているのでしょうか。
もしそうなら、払拭には「よくないもの」をぬぐい去るという意味がありますから、宗教そのものをはじめとして宗教に関連する文化・芸術・文学などもよくないものとしてとらえているということにもなりかねません。
日本には神社仏閣が各地にあり、それらは日本の歴史に影響を与えてきました。もしも、そういうものをすべて「払拭」するとなれば、現代日本につながる歴史の道の地図を手放してしまうことになるのは誰でも容易に想像できるでしょう。
――それで、なんの話でしたっけ?
あ、そうそうポニョでしたネ。
そんな日本の事情(?)を考慮してか「崖の上のポニョ」の公式サイトにはわざわざ「キリスト教色を払拭して」と記しています。これって逆にいえば、キリスト教や聖書の影響を受けたことを躍起になって否定しているようでもありながら、キリスト教やキリスト教文化や聖書に影響されていますよ、と観客に言っているようなもの。
ただ、なにも言わないおいて「キリスト教の影響が色濃くみてとれる」と誰かに指摘されてから「キリスト教とかそういうの関係ありません」と声明を出してゴタゴタするぐらいなら、先に「キリスト教色を払拭して」と明記したほうが、テレビ局も安心して宣伝できますし、たとえ作品を観た人からキリスト教の影響を指摘されても「キリスト教色を払拭して」という形であらかじめその影響を匂わせているのだから「それがなにか?」という体(てい)でやりすごすことができるというわけです。
このあたりの布石の打ち方はさすが「年の功とスタジオジブリ」だなぁと思います。
■ キリスト教の影響受けまくりのド真ん中直球勝負
そんなわけで、暗に(?)キリスト教の影響を示唆していると勝手に解釈するまでもなく「崖の上のポニョ」は「まんまキリスト教の影響受けまくりのド真ん中直球勝負作」とみてとれます。
「アイ・アム・レジェンド」も「トゥモロー・ワールド」も直球すぎるぐらいのキリスト教文化直球勝負作ですから、なにも恥ずかしがったり謙遜したりする必要はありません。
とはいえ宮崎駿監督はすばらしい人格者で礼儀正しい方なのでしょう。キリスト教の影響を受けた箇所がモロにいくつもある「崖の上のポニョ」になることが明らかであるとわかっていたので、日本の事情(?)を考慮して関係各所になるべく迷惑がかからぬよう配慮すると同時に、観客にはしっかりと「その旨(キリスト教の影響)」を伝えることにした。そのひとつの方法が「キリスト教色を払拭して」という文なのだろうと思います。
おそらく宮崎駿監督がキリスト教に特別の思い入れや関係があるわけではないと思います。古今東西の膨大な量と種類の神話・逸話・伝説・伝承を研究して知っているのでしょう。そのなかで自分と向き合い、自分の世界を表現しようとする葛藤を通して結果的に浮かんできたのが、キリスト教関連のものばかりだったのではないでしょうか。
今回はたまたまキリスト教的なモチーフやストーリーが多かった、ということなのかもしれませんね。
以上は推測にすぎませんが、そのあたりの「事情」のようなものをヒシヒシと感じられる作品であります。。
――ここで終わってはいけませんね。ではどこがキリスト教的な要素をイメージさせるのだ? という声にお応えしましょう。
■「父なる神」「ノアの洪水」
フジモトはポニョの父親です。そこでフジモトを父なる神と置き換えてみましょう。
旧約聖書の神(父なる神)は厳しい神として知られています。神との約束を破った人間にはきびしい罰が与えられるといったエピソードは旧約聖書にはいくつもあります。
そんな旧約聖書のなかで、神が腐敗した人間たちをみて一部の人間以外を一度滅ぼそうとされたエピソードがあります。それが「ノアの洪水」です。
「崖の上のポニョ」では、人間に愛想をつかしたフジモトが魔法で海水を浄化して「生命の水」を作ります。それを井戸に貯め、これがすべていっぱいに貯まった暁には「生命の水」の力を使い、世界をデボン紀をおもわせる「海の時代」にする計画を進めています。
「命の水」と「井戸」。これは聖書の「ヤコブの井戸」そのまんまですね。
■ ヤコブの井戸
新約聖書ヨハネによる福音書4章5節〜にある有名な「ヤコブの井戸」とは、こんな話です。
イエスが弟子を連れてサマリヤのスカルという町にやってきたとき、そこにヤコブの井戸がありました。
イエスが井戸のそばにすわっていると、ひとりのサマリヤの女が水を汲みにきました。イエスはこの女に「水を飲ませてください」と言われました。そしてあなたに生ける水を与えようとも言います。
このヤコブの井戸というのは、土地から染み出す溜め水で、その深さは30メートルはあったといいます。
これとは別のいわゆる涌き水というのは「生ける水」とも言われ、清めの儀式に使わる罪や汚れを清める効力があるともいわれていました。
サマリヤの女は、溜め井戸のそばにすわっている、くむ物ももたない男が涌き水を与えようというので、不思議に思います。そもそもユダヤ人がサマリヤ人に水を飲ませてくれと頼むこと自体が奇妙に思えました。というのは当時ユダヤ人とサマリヤ人は仲が悪くて交際していなかったからです。
(ユダヤ人とサマリヤ人との関係を表す話に「良きサマリヤ人」〈ルカによる福音書10章30節〜〉があります)
そこで女はイエスに、あなたはこの井戸をくださったわたしの偉大な先祖のヤコブよりも偉いかたなのですかとききます。
イエスが言ったのは「永遠の命にいたる水」「罪を清める水」という意味だったのですが、サマリヤの女が涌き水と勘違いすることをお見通しだったようです。
それによってサマリヤの女のヤコブへの尊敬の念を引き出すためだったとも受け取れます。
さて、この「ヤコブの井戸」のエピソードでいうところの「永遠の命にいたる水」「罪を清める水」が「崖の上のポニョ」でフジモトが井戸に貯めている「命の水」であるのは明白ですね。
フジモトは「命の水」を使って世界をデボン紀をおもわせる「海の時代」にしようというのですから、罪深い人間の「罪を清める水」として、フジモトは「命の水」を使おうとしているのはほぼ間違いないでしょう。
増えすぎた人口を減らすためウィルスその他で「人類大量間引き計画を進行中」というのはSF作品でよく使われるネタですね。
そこに水とくれば、しかも地球上の悪いものを水によって一度滅ぼそうというのであれば、真っ先に思い浮かぶのは「ノアの洪水」となります。
ノアの洪水では雨が40日40夜降り、地上の一番たかい山の頂さえ水に沈みました。そして水は150日のあいだ地上にみなぎりました。やがて箱舟はアララテの山(MOUNTAINS OF ARARAT)にとどまり、水が引いてノアたちは外へ出ました。
「崖の上のポニョ」では海沿いの街を海水が覆います。水に浸かっていないのは高台の公園らしきところぐらいなもの。そこにフジモトの潜水艦が横付けします。潜水艦? それって箱舟みたいですね。しかも潜水艦からは、デイケアサービスセンターに通っていた車椅子のお婆ちゃんたちが出てきてます。みんな歩けようになって元気ハツラツです。
聖書にはベデスダの池について記されています。ときおり天使が舞い降りて水面を揺らすときに、真っ先に池に入ると願いがかなうという池です。池の周りには病を患ったひとたちがたくさん集まっています。
水が動く。そこに願い叶う=癒しがある。「崖の上のポニョ」の車椅子のおばあちゃんが洪水がきっかけで歩けるようになるというシーンにつながるものがありますね。
さらに思い出していただきたいのが「おっきな魚の形をした波」に乗ったポニョが、再び宗介に会いにきたことです。
注目すべきは「おっきな魚の形をした波」です。
■ 魚にのまれたヨナ
「大きな波=大きな魚」にのまれた街のデイケサービスセンターで、それまで車椅子生活だったおばあちゃんたちは再び歩けるようになります。
大きな魚にのまれたことで、新たな道を歩みだす。つまり生まれ変わることを意味します。これは聖書の「ヨナの物語」そのままですね。
「魚にのまれたヨナ」として有名なこの聖書のエピソードは、ピクサーの「ファインディング・ニモ」でも使われています。ニモがおっきな魚にのまれて、外に出たときには目的地のシドニーに到着していたという、あのシーンです。
魚にのまれたヨナの話も簡略にご紹介しましょう。神の命令に背いて本来の行き先とは違う行き先の船に乗り、嵐にあいます。船員たちに自分を海に放り込むようお願いするヨナ。船員たちがその願いどおりにするとピタリと嵐がおさまります。魚にのまれたヨナはそこで悔い改め、再び地上に出たときにはもう迷うことなく神に従って生きていく決心をして一歩を踏み出すのです(生まれ変わる・洗礼)。
ほかに水関係ではポニョが水の上を歩くシーンがあります。聖書にはガラリヤ湖で水上を歩いたイエスのエピソードがあります。
■ 水上を歩くイエス
マタイ、マルコ、ヨハネそれぞれの福音書に「水上を歩く」というエピソードが記されています。
湖に漕ぎ出した舟に乗ったイエスの弟子たちに逆風が吹きつけます。一生懸命に漕いでも舟は進みません。その様子を見たイエスは、夜明けの4時頃に弟子たちのところに向かいます。
月光の中、湖の上を歩いてこちらにやってくる人影を見た弟子たちは、それを幽霊だと思って恐れます。しかしそれがイエスだとわかると、弟子のペテロは「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」と願います。
イエスに「おいでなさい」と言われたペテロは舟から降りて水の上を歩いてイエスのところに行きます。しかし風に恐れをなしておぼれかけます。
ペテロはイエスに手をつかまれて救われ「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われます。
そしてふたりが舟に乗り込むと風はやんでしまいます。
水の上を歩けるのはイエス・キリストか、そのイエスを信じる者だけ。となれば「逆風」や「嵐」のなか、水の上を歩くポニョはそのものズバリ、イエス・キリストをモチーフとしていることがわかります。
■ ポニョが人間になりたいわけ
人間になりたいポニョ。
海の中の安全なところを脱出してわざわざ汚染された海の外、陸の人間の世界へやってきたポニョ。
聖書に置き換えると、天井から罪深い人間がいる地上にやってきたイエス・キリストですね。
イエスが地上にやってきたのは人類を救うためです。
ポニョが陸にやってきたのは人間になるため(イエスは人間の子として地上に使わされた)ですが、いろいろあっても結果的に父フジモトの「世界をデボン紀をおもわせる海の時代にする計画=人類の危機」を阻止することになったのですから、ポニョも人類を救うのです。
それから、救世主といえば「復活」ですね。
聖書によるとイエスは十字架に架かって3日後に蘇りました。
ポニョも魔法の力が弱まって眠くなってグッタリしてしまいます。宗介からみればポニョが死んでしまったかのように感じたことでしょう。
ところが、いなくなっていた娘ポニョが魔法(お金)を使い果たして弱って父フジモトのもとに戻ってきたときに、すべてを受け入れる宗介の愛によって蘇る=復活するのです。ほら、ポニョも復活を思わせるシーンがありますね。
「いなくなっていた娘ポニョが魔法(お金)を使い果たして弱って戻ってきた」というのは聖書の「放蕩息子」のエピソードをなぞっているようにもみえます。
■ 幼子ポニョ
「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛」で、ナルニア国で数百年姿を見せないといわれるアスランの姿を、深い谷を挟んだ向こう側に見ることができたのは、ペベンシー4兄妹の末っ子ルーシーだけでした。
「ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女」でも衣装タンスからナルニア国にはじめてやってきたのは、末っ子のルーシーです。
新約聖書マルコによる福音書10章13節には「神の国は、このような者(幼な子)の国である」とあり、15節には「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」とあります。
ルーシーは小学校低学年ぐらい。ポニョは宗介と同じ5歳ぐらい。どちらも同じぐらいの年齢の幼子です。。
キリスト教の背景が読み取れる「テラビシアにかける橋」の主人公のひとりの少女は小学生。日本でいうと小学4,5年生ぐらい。
「ライラの冒険 黄金の羅針盤」の主人公の少女は12歳ぐらいですが、大人に比べればじゅうぶん幼子といえるでしょう。
しかもみんな女の子です。
「 ダ・ヴィンチ・コード」の謎を解く重要な鍵は「M」。すなわちマグダラのマリアという女性です。
幼い女の子が主人公。これもキリスト教の背景を色濃く持った作品の典型パターンですね。
■ 崖の上・岩の上に家を建てる
「崖の上のポニョ」。崖の上といえば、新約聖書のマタイによる福音書7章には「岩の上に家を建てた賢い人」の話があります。
岩の上に家を建てれば「雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けても、倒れることはない(マタイによる福音書7章25節)」のです。
宗介とミサは嵐の中、崖の上の自宅に戻ります。自宅に着いたときにはポニョも一緒です。宗介とポニョは崖の上の家で洪水と嵐をやりすごします。
崖の上の家を、岩の上の堅固な土台をもった家としましょう。洪水や嵐にあっても、賢い者が建てた岩の上の家は倒れることはないのです。
床ギリギリまで海水が上昇しますが、宗介の家は倒れません。町全体が海水に沈んだ中で、宗介の家はまるでノアの洪水でアララテの山頂についた箱舟のようです。
つまり崖の上=岩の上に家を建てた(住んでいる)賢い人=宗介は、洪水から守られたノア=よき人という構図が浮かび上がるのです。
■ オトン応援歌
宮崎駿監督はオトンです。オトン(父親)の愛というのは特に現代日本でクローズアップされることは稀です。
宗介の父親である耕一は貨物船の船長。仕事のために予定していた帰宅ができなくなります。光を使ったモールス信号で、ごめん愛している、といったメッセージをおくる耕一ですが、それに対して妻リサは「バカバカバカ」と連発します。
これは夫婦のベタな愛情表現ですが、父耕一はいつも仕事で宗介たちのそばにいません。これってどこにである日本の家庭のありがちな日常の風景です。
もうひとりのオトンであるフジモトは娘への愛情にあふれ、家出して他所の男に熱をあげる娘を家に連れ戻そうと苦手な陸にさえ上がります。
やがて娘の幸せを考え、もう海(家)に戻ってこないと悟ると、今度は娘を愛する最高の保護者を世話します。それはもちろん宗介のことですね。
「オトン涙!不良家出娘の嫁入り珍道記」みたいで、全国のオトンは仕事で家族との時間がつくれない身の上を耕一に重ね合わせ、やんちゃな愛娘の嫁入りのときをフジモトに重ね合わせ、目頭を熱くするのです。
まさにオトン応援歌。宮崎駿監督の「全国のオトンたちへのエール」なのです。
ほら「崖の上のポニョ」の主題歌を歌っているのは「藤岡藤巻と大橋の
ぞみ」です。「藤岡藤巻」のふたりは、藤岡孝章と藤巻直哉。
ふたりともオトンを思わせるオジサンですね。
このように、主題歌でも娘とオトンをイメージさせるビジュアルを意識
して用いているのです。
■ ピクサーを意識?
アニメーションといえばピクサー・アニメーション・スタジオ。CG技術だけでなくストーリー作りもズバ抜けています。
ピクサー・アニメーション・スタジオとスタジオ・ジブリのアニメ制作方式は違いますので、どちらがいいわるいということではありません。でも、ひとりに集中して負担がかかりやすいのはスタジオ・ジブリです。
そのひとりとは宮崎駿監督であり、近年はとくにまるで命を削るかのようにアニメ作品を作っています。ひとりの世界をスタッフみんなでアニメーションという作品にしていく。だからこそ人間の深い描写と物語世界を表現できる一方で、ひとりよがりになりやすかったり、わかりにくい箇所も出てきたりします。
だからスタジオジブリ作品のいくつかはテーマが難解すぎてわかりにくいものがあるのです。しかしそれがジブリや宮崎駿監督の「味」や「世界観」として箔がついたりもしています。
そういった作品づくりをずっとしてきたので、今更ピクサー方式に変更することはまず不可能でしょうけれど、やはりアニメーションという土俵でヒットの常勝軍として君臨しているピクサーの作品は、宮崎駿監督といえども気になるでしょう。
そりゃそうです。アニメやCGでは難しいといわれていた水の描写にガッツリ取り組んでヒット作「ファインディング・ニモ」を世に送り出したピクサーですから。
そりゃそうです。アニメやCGでは難しいといわれていた料理の描写にガッツリ取り組んでヒット作「レミーのおいしいレストラン」を世に送り出したピクサーですから。
しかもストーリーはだれが観てもわかるシンプル設計でありながら、その背景にはキリスト教のエピソードもしっかり織り込まれており、家族みんなで見れるエンタテイメント作品として作る作品はみなヒットしています。
とくに料理や食事のシーンい力を入れてきた宮崎駿監督にとって「レミーのおいしいレストラン」には、やられちまったぁ! と思ったのではないでしょうか。
CGでピクサーと張り合っても無理となれば、自ずとCGを一切使わずずに手書きによって作画する方法をとることになったのはうなづけるところです。
そうして出来た新作の蓋を開けてみれば「キリスト教色カラフルにベタ塗り」になっていたというのはたいへん興味深い現象ですね。
年を取って自分の描きたい事をとことんつきつめてきた、そのたどり着いた深層心理の底の普遍的な部分あったのは、世界のベストセラーといわれる聖書のエピソードを彷彿とさせるものばかりだったのですから。
先に書いたとおり、これは推測にすぎませんが、宮崎駿監督は出来た新作があまりにキリスト教色が色濃いことにハッとして、あわてたわけではないでしょうが勢い余って「キリスト教色を払拭して」というようにわざわさ明記したのではないでしょうか。「払拭して」という言葉を使ったところに宮崎駿監督の気持ちが表れているのではないでしょうか。
■ その他
ひとつ違えばかなり怖い話です。
ある日、少年は深海のしゃべる肉食(ハム)人面魚に一目惚れされます。嵐を起こしてまでしつこく迫りくる人面魚。やがて人面魚に「鳥肌ものの鳥足」が生え、陸さえも走ってどこまでも追いかけてくるぅ! きっとぉくるぅ!(>_<)
ひとつ違えば、キモ怖い立派なホラーですね……。
さて、キリスト教の背景を持つといわれる欧米の映画作品であっても、使っている聖書のエピソードは2、3個です。
ところが「崖の上のポニョ」はなにからなにまで聖書のエピソードやイエスのたとえ話を取り入れているようにみえます。
もしも、キリスト教や聖書のエピソードの百貨店を目指したのだ、といわれれば「なるほど」とうなづくことでしょう。
もしも「崖の上のポニョ」みたいな作品が欧米のスタッフによって制作・上映されたら、キリスト教のモチーフを使うのはいいけれど、ちょっと使いすぎかもしれないね、それらをベースにしつつ、もうちょっとオリジナリティを持たせたらもっとよかっただろうよ、という意見が聞けるかもしれません。
言い方はよくないかもしれませんが「ヘタすると」キリスト教会やキリスト教関連団体の布教活動用アニメ作品として使えそうであるばかりか、布教・伝道用に作られた作品といわれても、だれも疑わないかもしれません。
とはいえキリスト教色のことなど何も意識せずに観ても楽しめます。細かく観ればいろいろな解釈ができる深ぃ〜作品ですが、シンプルな物語としても楽しめるようになっています。
深読みファンも、シンプルに楽しみたいファンも、その両方を意識した作品づくりの「さじ加減」が「崖の上のポニョ」の最大のアピールポイントですね。
今回はとくにオトンの涙が止まりませんヨ。
オトンも含めた家族みんなでご覧になるのがよいでしょう。
笑えたのは、車に乗って移動中の宗介を、ポニョが大波にのって追いかけるシーンです。映画「エスケープ・フロム・LA」で主人公スネークが大波にのってサーフィンするシーンとそっくりでした(笑)。
デート ○
フラッと ○
演出 ○
キャラクター ○
映像 ○
ファミリー ○
映画メルマガ発行しています。
ズバッと映画紹介や濃い〜映画批評ならこのメルマガ。ドラマ、演劇、小説と多肢にわたる物語解説は他ではちょっと読めないゾ。日本ではほとんど知らされない映画に込められたキリスト教文化や歴史を解き明かす、巷で噂のまぐまぐ!殿堂入り映画レビューマガジンがこれ!
まぐまぐ!殿堂入りマガジン
▼「基本3分!映画レビュー わかりやすい映画案内」
2008年08月25日
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崖の上のポニョ
Excerpt: お気に入り度 ★★★★☆ こんな話 崖の上の家に住む5才の宗介は、海辺でビンにはまって困っている小さくてヘンな魚を助け、ポニョと名付けた。ポニョと宗介はお互いが好きになるが、父フジモトによってポニョは
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