2008年07月28日

ダ・ヴィンチ・コード』ガイド〜重要「M」が7倍わかる〜

『ダ・ヴィンチ・コード』ガイド〜重要な「M」が7倍わかる〜
                             
『ダ・ヴィンチ・コード』において重要なポイントとなる「M」とは?

それはダ・ヴィンチの「最後の晩餐」にはっきりと見てとれるのです。

では、はじめて「最後の晩餐」を見る人も、見慣れている人も、もう一度「最後の晩餐」をみてみましょう。

イエスの右側(向かって左側)にいる人物に注目してください。よく見ると、その容姿から女性とみてとれることに気づくことでしょう。

ではイエスの12弟子に女性はいたのでしょうか? 

一般には男性だけ12人です。

そうとなるとこの女性にみえる人物はだれなのでしょうか。

それこそ、ダ・ヴィンチ・コードを解く重要なポイントなのです。

結論から言いましょう。「ダ・ヴィンチ・コード」においては、この女性にみえる人物は、マグダラのマリアだというのです。

では、彼女はいったいどんな人物だったのか? 次に簡単にご紹介します。

                             
■ マグダラのマリア

マグダラのマリアについては様々な説があります。

お金持ちのお嬢様だった。娼婦だった。さらにベタニアのマリア (マルタの妹)と混同されているという説もあります。

ですが「ダ・ヴィンチ・コード」でポイントとなるのは、20世紀になって発見された『(マグダラの)マリアによる福音書』や『トマスによる福音書』や『フィリポによる福音書』にある記述です。

これら聖書の外典によると、マグダラのマリアがイエスと結婚していたとも読み取れる記述があるというのです。

つまり、マグダラのマリアはイエスの弟子でもあり、妻でもあった可能性が高いと読み取れるというのです。

では、マグダラのマリアがそれほど重要なポジションにいたことをうかがわせる最も有名で重要なエピソードをひとつご紹介しましょう。

それは十字架で亡くなったイエス・キリストを見守り、その埋葬を見届け、そして復活したときに最初に立ち会ったというエピソードなのです。
(マタイによる福音書28章1〜10節 ・ヨハネによる福音書20章11〜18節)
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このときイエスは、他の弟子たちに自分の復活を知らせるようにとマグダラのマリアに言いました。

マグダラのマリアは復活のはじめに立会い、それを知らせる役目を与えられたのです。このことからマグダラのマリアがイエスの厚い信頼を得た重要なポジションにあった女性であることが推測できるというわけなのです。

そしていよいよ次に、マグダラのマリアがイエスのそばにいて、いかに重要な役割を担っていた女性であるかを示すよい例をご紹介しましょう。

これを知れば「ダ・ヴィンチ・コード」におけるM、すなわちマグダラのマリアが様々なところで重要視されていることを改めて認識できるにちがいありません。

ではどこに「M」の足跡をみつけることができるのでしょうか。

実はみなさんもよく知っている作品にもはっきりと描かれています。

たとえアナタがその作品をよくは知らなくても、題名ぐらいは耳にしたことがあることでしょう。その作品こそ、キリスト教文化が色濃く反映されていることで有名な作品「ナルニア国物語」なのです。

                             
■ ナルニア国物語における女性

ここでは映画「ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女」(以下「ナルニア国物語」)をとりあげます。

「ナルニア国物語」に登場するメインキャラクターのペベンシー4兄妹のうちの2人は女性です。すなわち長女のスーザンに次女のルーシーが女性で、4兄妹のうちでこのふたりだけが「あの夜」にアスラン(ライオン)が皆から離れて歩いていくことに気づきます。


■ アスランと共に歩く

「あの夜」とは、「ゲッセマネの夜」といわれる夜のことを指します。

「ナルニア国物語」では、次男エドモントの救出に成功したのも束の間、アスランの陣地に白い魔女が現れ、裏切りのエドモンドを引き渡すようアスランに要求します。

このときアスランは白い魔女とふたりだけで話して、裏切りのエドモンドを救います。

その夜のことです。アスランが自軍からそっと離れて、暗闇の森をひとりで歩いていきます。それに気づいたスーザンとルーシーはアスランの後を追います。ふたりが付いてきたことに途中で気づいたアスランは、彼女らに「しばらく一緒に歩こう。ありがとう」といった意味のことを言います。
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いったいアスランはどこに行くのでしょうか。

暗闇の森をスーザンとルーシーと共に無言で歩くことにわざわざ「ありがとう」と礼を言うアスラン。

そしてある場所までくるとアスランは「ここからは私ひとりでいかなれければならない」という意味のことを言ってスーザンとルーシーと別れてひとりで歩いていきます。

暗闇の森をアスランとスーザンとルーシーが共に歩くだけのこのシーンは、はたして必要なのかな、と思う方もいらっしゃるかもしれません。

たしかに何が起こるわけでもなく、ただどこかの目的地へ向かう途中の暗闇の森を歩くだけなのです。

しかし、このシーンで涙が溢れてしかたながない観客が大勢いるのです。

ではなぜ、ただ暗闇の森を共に歩くだけでなぜ涙が止まらないのでしょうか。

実はこのシーンはイエスが十字架にかかる前の晩の、ゲッセマネの園での出来事を示しているからです。

イエスはその晩、ゲッセマネと呼ばれる園で弟子たちから少し離れて祈っていました。イエスは人間の罪の身代わりになって自分が十字架に架からなくてはならないことはわかっていましたが、弟子たちの支えをこのときこそ必要としているときはなかったかもしれません。

しかしペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子はイエスが苦しみと悩みの中におられることを知っていましたが、疲れていたので眠ってしまいました。
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原作者C.S.ルイスはキリスト教の本も執筆している神学者です。彼はもちろんゲッセマネの園でイエスが苦しみと悩みの中におられて一番支えが必要だったときに弟子たちが眠ってしまったことを知っています。自分を弟子に重ね合わせつつ、いたたまれない思いでいたことでしょう。

そこで「ナルニア国物語」ではスーザンとナンシーがアスランと共に歩くというシーンを書くことで、イエスの苦しみを少しでも取り除く助けになりたい。――そんな願いがこもったシーンだと観てとれるのです。だからこそアスランは二人に「ありがとう」と言ったのです。

そして重要なポイントは、アスランと共に暗闇の森を歩いたがスーザンとナンシーだということです。つまり、男性ではなく女性というのがポイントです。

イエスが苦しみと悩みの中におられて一番支えが必要だったときに傍にいたのは、女性であったということを表しているとみてとれます。

                             
■ アスラン復活に立ち会うのは

アスランがイサクの祭壇に似た石台の上で亡くなって後に復活したとき、これに立ち会ったのはだれでしょうか?

それはアスランの最後を見届けたスーザンとルーシーでした!

思い出してください。聖書によると復活したイエスに最初に会ったのは女性ふたりであり、そのうちのひとりはマグダラのマリアであったことを!

「ナルニア国物語」においてイエス・キリストを表すアスランが復活したときにはじめに会った人はスーザンとルーシーの女性ふたりなのです。

これは偶然でしょうか?

いやそんなことはないでしょう。

「ナルニア国物語」の原作者C.S.ルイスは神学者です。子供たちに聖書の物語をよりよく知ってもらおうと書いたのが「ナルニア国物語」なのです。聖書に精通している神学者が、わざわざ森の中をアスランと共に歩くだけのシーンを書いたワケとは?
                             
それはつまり、ゲッセマネの園で苦悩するイエスの側で共に苦しみを分かち合う可能性がもっともあったのは「女性」だということを表しているのではないでしょうか。

さらにアスラン復活に立ち会うのが4兄妹のなかでスーザンとルーシーの女性2人にしたワケとは?

これは先にも説明したように、聖書によると復活したイエスにはじめに会ったのは女性2人であり、そのうちのひとりがマグダラのマリアだったからです。

こうしてみると原作者C.S.ルイスは聖書、とくに新約聖書のイエス・キリストに関するものにおいて女性がいかに重要であるかを「ナルニア国物語」という物語の形をとって広く人々に知らしめようとしたのではないか、と考えることができるのです。

C.S. ルイスは「M」が重要だというメッセージを物語に込め、レオナルド・ダ・ヴィンチは「最後の晩餐」という絵画に同じく「M」が重要だというメッセージを込めたと解釈するすることも可能ではないでしょうか。

                             
■ C.S. ルイスとダ・ヴィンチを結ぶ線

C.S. ルイスは新プラトン主義(ネオプラトニズム)的な見解を披露しています。

新プラトン主義は紀元3世紀ごろに生まれた哲学思想ですが、ネオプラトニズムの思想は一神教の思想に近く、中世ヨーロッパのキリスト教哲学の基盤の一端を担っています。

さて、ルネサンス期のフィレンチェのメディチ家ではプラトン研究が盛んでした。こうした流れでネオプラトニズムの思想はルネサンスの文芸・美術にも大きな影響を与えていたのです。

そしてメディチ家が多くの芸術家をパトロンとして支援していたことは有名ですね。

支援していた有名芸術家にはボッティチェリ、ミケランジェロ、そしてレオナルド・ダ・ヴィンチがいました。

C.S. ルイスが新プラトン主義の研究をするうちに、ルネサンスの芸術・美術に関心を持ったことは容易に想像できます。当然のようにダ・ヴィンチの作品も知っていたにちがいありません。

C.S. ルイスはルネサンスの芸術家が絵画で伝えようとしたメッセージを、今度は自分が物語りの形で伝えようと考えたのかもしれませんね。
                             

■ 聖書における女性

聖書に登場する女性で有名な人物といえばルツです。

ルツはユダヤ人からみれば異邦人でしたが、夫マロンの死後、姑にあたるナオミと共に歩みことで、やがてナオミの親戚ボアズと再婚します。
(ユダヤには選民思想があります。簡略していうと、ユダヤ民族は神に選ばれた民族であるという思想です)

そしてルツとボアズの子のオベデは、ダビデとイエス・キリストの先祖にあたります。

また、ルカによる福音書には、信じる者のエピソードとして女性が登場します。
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12年間長血(病気)をわずらっている女が、群衆のなかのイエスに、後ろから近寄ってその衣のふさに触った。すると病気がたちまち治ってしまった。

イエスは、わたしにさわったのはだれか、と言われた。群衆がひしめきあっていたのでだれが触れてもおかしくなかったが、イエスは、力がわたしから出て行ったのを感じたのだ、と言われた。

女は震えながら進み出てひれ伏して、さわった訳と、さわるとたちまちなおったことをみんなの前で話した。

イエスは女に言われた。あなたの信仰があなたを救ったのです。
(新約聖書ルカによる福音書8章43節〜48節)
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このように、異邦人の女性・ルツがダビデ〜イエス・キリストの先祖であることや、信仰深き者として女性が登場することからもわかるように、聖書はそもそも異邦人や女性を軽んじてはいないと読み取ることができます。

実際、異邦人については使徒の時代にはサウロ(パウロ)が異邦人伝道で活躍しました。

しかし、女性についてはローマ帝国によるキリスト教公認以後はどうだったでしょうか。

キリスト教一般における女性観はどのようなものとされてきたのでしょうか。

これこそが「ダ・ヴィンチ・コード」を読み解く最大のポイントであり、それを最もよく表しているのが「M」――すなわち、マグダラのマリアなのです。


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