2008年07月10日

シービスケット(SEABISCUIT)

「シービスケット(SEABISCUIT)」

シービスケット プレミアム・エディション
ゲイリー・ロス
ポニーキャニオン
2004-08-18


by G-Tools


ゲイリー・ロス監督/2003年/アメリカ/141分
原作:ローラ・ヒレンブランド
「シービスケット――あるアメリカ競走馬の伝説 Seabiscuit;An American Legend」

●希望と再生の物語。馬を比べて「ダビデとゴリアテ」という表現をする場面も。

〔1〕テーマ(Theme)
―――――――――――――――――――――
絶望と希望


〔2〕ストーリー(Story) 
―――――――――――――――――――――
大恐慌時代(※1)のアメリカ合衆国。人々は一頭の競走馬に希望を見い出した。それぞれに大事なものを失った3人の男たちが、その競走馬(シービスケット)を中心に集まる。
様々なハンディを乗り越え、シービスケットは数々のレースで勝利する。


〔3〕Main Character(主な登場人物)
―――――――――――――――――――――
△ジョニー‘レッド‘ポラード
 青年騎手。

△チャールズ・ハワード
 シービスケットの馬主。

△トム・スミス
 調教師

△マルセラ・ザバラ
 ハワードの再婚相手。

△ジョージ・ウルフ(ジ・アイスマン)
 騎手。レッド・ポラードの友人。

▲シービスケット
 競走馬。

▲ウォー・アドミラル
 競走馬。シービスケットのライバル。


〔4〕・1 バリア(障壁)
―――――――――――――――――――――
⇒レッド・ポラードの落馬による重傷。
⇒シービスケットのケガ。

共に牧場で療養する。やがて新しい行動を試みようという決断によって、シービスケットとレッド・ポラードは奇跡の復活を果す。

これは恐慌と重なっているともいえる。1929年の恐慌で大事な人や物・事を失った3人が集まり、様々な問題を克服してシービスケットがレースに勝つ。だがレッド・ポラードが落馬による重傷を負ったり、シービスケットがケガをしたりしてしまう(←1937年に再び恐慌が起きることと重なる部分)。

それにもかかわらず奇跡の復活を果した(1940年)シービスケットはまさに人々の希望であった。


〔5〕Comments(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
●希望と再生の物語。馬を比べて「ダビデとゴリアテ」という表現をする場面も。

それぞれに大事なものを失った男たち――。チャールズ・ハワードは息子を自動車で亡くして妻とも別れ失意のなかにいた。

トム・スミスは腕のいいカウボーイだったが、西部開拓時代の遺物のように時代にとり残されたかのように感
じていた。

そしてジョニー・ボラードは大恐慌で家族を失い、騎手とボクサーで生き延びていた。

やがて彼らは一頭の競走馬――気難しくて小柄で栗毛――を中心に集まる。

だれもが扱いに手を焼いており、だれもがその走りの才能を知ろうと注意を向けなかった一頭の競走馬に、トム・スミスが目をとめたのだ。そして彼は、同じく荒くれでスランプ中の騎手――ジョニー・ポラードにも目をとめた。

こうした主なキャラクター達のバックグラウンドがダイアニサイアック(Dionysiac)――夢中になる、主人公に共感を得る――の効果をもたらしている。

大恐慌時代のアメリカ合衆国の人々は絶望と喪失のうちにあった。それぞれに大事なものや大切なものを失った馬主と調教師と騎手、そして一頭の競走馬に人々は自分の境遇を重ね合わせたのだ。

ジョニー・ポラードはアイルランド移民の家に生まれ、幼い頃から本に親しんでいた。大恐慌で家族と離れなければならなくなったとき、彼に残されたのは馬に乗ることと、数十冊の本だった。

こうしてジョニー・ポラードは騎手やボクサーとしてひとりで必死に生きてきたが、幼い頃から本を読んで培った文学の教養があり、さまざまな場面で自分の心境について文学上の有名な句を引用して表現している。

こういった、有名な句を引用するというのは、例えば政治家などの有名人が演説やスピーチでよくしているのをテレビや映画で観た事があるだろう。

これらはキリスト教文化や有名な文学の教養があることを示して、自分がいかに優秀で有能であるかを人々にアピールする狙いがある。

ジョニー・ポラードが有名な句を引用するのは、たとえ貧しく一人で生きてきたとしても、しっかりした教養を持っていることを示している。

貧しくて学がない青年が、勉強や訓練を積み重ねて立派になっていく(シンデレラ型[例]→『マイ・フェア・レディ』)というのも人気があるが、貧しいながらもしっかりとした教養を持っている青年というのも応援したくなるものだ(だが、ジョニー・ポラードが有名な句をマイナスな意味で使う場面もある)。

ほかにもシービスケットの宿敵馬となるウォー・アドミラルの馬主が「ダビデとゴリアテ」という表現をする場面がある。これは自分の馬とシービスケットを比べて言ったときのセリフだ。

--------
「ダビデとゴリアテ」は旧約聖書サムエル記上16章に載っている話だ。

当時イスラエル人はペリシテ人と戦争をしていた。

イスラエルの王サウルの軍にいた兄たちの様子をみにいった羊飼いのダビデ(後のイスラエル王)は、戦場で
巨人ゴリアテを見る.

その大きさ故にイスラエル兵はだれも彼と戦おうとしなかった。

そこでダビデはいつも使っている革製の投石器と羊飼い用の杖を持ってゴリアテに戦いを挑んだ。

ダビデが投石器で飛ばした小石はゴリアテの額に命中。ダビデは走り寄り、ゴリアテの刀で彼の首をはねた。

これをみたペリシテ兵士たちは逃げて行ったのである。
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ウォー・アドミラルの馬主は東海岸の支配者(金持ち)であり、ここで聖書の物語を引用しているのは、自らの権力と教養をひけらかしたいという気持の表れとみることができる。

しかし、巨人ゴリアテはダビデに倒されるので、これは単にウォー・アドミラルとシービスケットの体の大きさと実力の差を例えたにすぎないのだろう。

これにたいしてジョン・ハワードは、自らの境遇をアピールして、絶望の淵にある大衆の心を掴んでいく。

虐げられ絶望している人々が強大な力(支配者層・金持ち)に勝つ、という希望の星――それがシービスケットの活躍なのだ。

これはサッカー(フットボール)と似ている。

複雑なシステムをもつサッカーというスポーツは強い意志をもって戦略と戦術を駆使し、ゴールという明確な
目標を達成しようとする。

そのためには、正確なパスとシュートという個人技を基本とするチームワークが必要だ。気の遠くなるような訓練と練習の量をこなし、選手の高いモチベーションと、完璧な戦略と戦術があっても、試合ではなにが起こるかわらない。弱小といわれるチームでも、王者といわれるチームに勝つことがあるのだ。

弱者が強者に勝つという奇跡が起きるスポーツ――それがサッカーだ。南米の貧しい国々でサッカーが盛んなのには充分に頷けることだろう。

アメリカ合衆国においてはサッカーは盛んなスポーツではない。なぜなのか。それを考えてみることは、アメリカ合衆国の特殊性を理解する助けになるだろう。

大恐慌時代のアメリカ合衆国では、虐げられ絶望の淵にある人々が一頭の競走馬に希望を見い出した。

当時の大衆に対立するものは東海岸の支配者層(金持ち)だった。その後のアメリカ合衆国は国外の脅威(ソビエト連邦)と自国民の希望(宇宙・アポロ計画)等で国内の結束を固めて高い目標を掲げてきた。
 
アメリカ合衆国が政策として大衆に希望を提供したのではない、大恐慌という時代に大衆の中から出てきた希望――それが「シービスケット」だ。

――――――――――――――
※1 大恐慌時代(1929-41)
1929年秋、アメリカ・ニューヨーク株式市場が大暴落して恐慌が始まる。アメリカ合衆国は32代大統領フランクリン・ルーズベルトによってニューデイ―ル(新規まき直し)政策を実行する。これはフーバーの自由放任に代わり、国家の干渉によって資本主義を修正することにより恐慌を克服しようとするものだったが、国家と結合した独占企業が利潤を得るなどして37年に再び恐慌が起こった。

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